ニューヨーク出身のライター、ウィンズロウの代表作といえばメキシコ・マフィアの生態を生々しく綴った「犬の力」(2005年刊行)だが、本書はその続編だ。高評価の作品のパート2というのは、通常は質の低下が懸念されるところだが、これは前作を凌ぐほどの重量感と迫力で読む者を圧倒する。かなりの長編ながら、弛緩するところも見当たらず、一時も飽きさせない。
前作でメキシコの麻薬カルテルと壮絶な戦いを演じたDEA(アメリカ麻薬取締局)捜査官のアート・ケラーは、第一線を退いて田舎で養蜂家としての生活を送っていた。ところがある日、刑務所に送ったはずの敵の首魁であるアダン・バレーラが脱獄したというニュースが飛び込んでくる。バレーラは再び大きな組織を作り上げるが、彼がいない間にメキシコは複数のシンジケートが誕生しており、すぐさま血で血を洗う抗争が勃発。
バレーラはケラーに対する恨みも忘れておらず、ケラーの首に莫大な額の懸賞金を積み上げる。ケラーは“現場”に復帰し、アメリカ当局やメキシコ連邦保安局と協力して対処に当たるが、カルテルのパワーは簡単に押さえつけられるものではなかった。2006年ごろから始まったメキシコ麻薬戦争を題材にしたドラマだ。
物語の基調はケラーとバレーラとの確執だが、脇のキャラクターが主役となるパートにもかなりのページ数が割かれている。ならば展開がそれだけ散漫になるのかというと、全然違うのだ。各エピソードはそれだけで一つの長編小説が成り立ってしまうほど、密度が濃い。そしてそれらは、本作の大きなテーマであるメキシコおよび(麻薬の一大マーケットになっている)アメリカの現状に収束していく。
登場人物の多くは自らの欲望あるいは矜持によって生き方を決めたはずが、無残にも命を落としていく。カルテルの構成員はもちろん、ケラーに味方する当局側の人間やマスコミ関係者も、この状況にコミットした途端に命のやりとりを強いられる。ただし、いくらメキシコで修羅場が展開されようとも、漫然と大麻とコカインを吸い、ヘロインと覚醒剤を打つ北米の連中の立場は変わらない。その現実に対する激烈な怒りと、苦々しい諦念とが文面から迸っている。
ウィンズロウの筆致は淀みがなく、キャラクターの掴み方や活劇シーンの高揚感には瞠目させられる。ミステリー好きはもちろん、骨太な社会派作品を望む読み手にも大きくアピールできる作品だ。
前作でメキシコの麻薬カルテルと壮絶な戦いを演じたDEA(アメリカ麻薬取締局)捜査官のアート・ケラーは、第一線を退いて田舎で養蜂家としての生活を送っていた。ところがある日、刑務所に送ったはずの敵の首魁であるアダン・バレーラが脱獄したというニュースが飛び込んでくる。バレーラは再び大きな組織を作り上げるが、彼がいない間にメキシコは複数のシンジケートが誕生しており、すぐさま血で血を洗う抗争が勃発。
バレーラはケラーに対する恨みも忘れておらず、ケラーの首に莫大な額の懸賞金を積み上げる。ケラーは“現場”に復帰し、アメリカ当局やメキシコ連邦保安局と協力して対処に当たるが、カルテルのパワーは簡単に押さえつけられるものではなかった。2006年ごろから始まったメキシコ麻薬戦争を題材にしたドラマだ。
物語の基調はケラーとバレーラとの確執だが、脇のキャラクターが主役となるパートにもかなりのページ数が割かれている。ならば展開がそれだけ散漫になるのかというと、全然違うのだ。各エピソードはそれだけで一つの長編小説が成り立ってしまうほど、密度が濃い。そしてそれらは、本作の大きなテーマであるメキシコおよび(麻薬の一大マーケットになっている)アメリカの現状に収束していく。
登場人物の多くは自らの欲望あるいは矜持によって生き方を決めたはずが、無残にも命を落としていく。カルテルの構成員はもちろん、ケラーに味方する当局側の人間やマスコミ関係者も、この状況にコミットした途端に命のやりとりを強いられる。ただし、いくらメキシコで修羅場が展開されようとも、漫然と大麻とコカインを吸い、ヘロインと覚醒剤を打つ北米の連中の立場は変わらない。その現実に対する激烈な怒りと、苦々しい諦念とが文面から迸っている。
ウィンズロウの筆致は淀みがなく、キャラクターの掴み方や活劇シーンの高揚感には瞠目させられる。ミステリー好きはもちろん、骨太な社会派作品を望む読み手にも大きくアピールできる作品だ。