荻上直子の監督作は「かもめ食堂」(2006年)しか観ていないが、あの映画に対して覚えた違和感が本作にも横溢している。「かもめ食堂」の主人公は“母親が逝った時より猫が死んだ時の方が悲しかった”とモノローグで語るように、親との関係性を上手く構築できていなかった。この映画の登場人物達も同様である。別に親子関係についてどういう見解を持とうが勝手なのだが、それが作品の面白さに結び付いていないのは、実に不満だ。
11歳の女の子トモは、母親のヒロミと2人で暮らしていたが、ある日ヒロミが男に入れあげて家を出てしまう。一人きりになったトモは、仕方なく近くに住む叔父マキオの家に転がり込む。だが、叔父にはリンコと名乗る同棲相手が出来ていた。リンコは元男性で、老人ホームで介護士として働いている。最初は戸惑うトモだったが、愛情を持って世話をしてくれるリンコに、次第に心を開いていく。脚本は荻上監督によるオリジナルだ。
まず、トモに対するヒロミの態度が不快極まりない。明らかに虐待であり、しかも最後までこの母親は反省一つしないのだ。若い頃のリンコとその母親との関係も釈然としない。息子の“性癖”に理解を示しているようで、何やら自分の所有物のように扱っている。トモの同級生のカイの母親は、ステレオタイプの価値観を押しつけてくるだけで、子供を理解しようとしない。またトモやリンコにも父親はいたはずだが、その存在は見事なほどにネグレクトされている。
斯くの如く、本作における本当の血縁関係にある親子は、どれも正常では無い。で、親身になって子供の面倒を見てくれるのが、性的マイノリティだけであったという話を展開しているわけだ。言うまでも無く、こんな図式は底が浅すぎる。
同性愛やトランスジェンダーが、そんな“イレギュラーな親子関係”へのアンチテーゼとして位置付けられているということは、言い換えればLGBTが“イレギュラーな親子関係”との対立要件でしか存在価値が成立し得ないことになる。もちろん、実際はそんな単純なものではないはずだ。それに、男根イコール煩悩と断定しているリンコの思いがよく分からないし、リンコが108個の男根の編み物のオブジェを作るくだりも、作劇上は牽強付会に過ぎるのではないだろうか。
リンコに扮する生田斗真は好演。よくここまで役を自分のものにしたと思う。子役の柿原りんかも良い。しかし、その他のキャストが機能していない。桐谷健太にミムラ、小池栄子、門脇麦、りりィ(これが遺作)、田中美佐子と、悪くない面子を揃えているのに残念だ。