(原題:THE DRAUGHTSMAN'S CONTRACT)82年イギリス作品。ピーター・グリーナウェイ監督らしい、よく分からない内容の映画である。原題を直訳すると“デッサン画家の契約”となり、これまた意味不明だ。ただし、無理矢理に英国製ミステリーのような邦題を付けて、何とか特定のジャンルに押し込めて体裁を整えようという興行側の苦心の跡は窺える。
17世紀末のイギリス、画家のネヴィルは南部の富豪ハーバート家に招かれる。だが当主のハーバートは不在で、代わりに対応した夫人のヴァージニアは、夫が戻るまでに屋敷の絵を12枚完成させることをネヴィルに約束させる。早速翌日から仕事に取りかかるネヴィルだが、ハーバートの娘夫婦や住み込みの公証人らの怪しげな雰囲気に不信感を抱くようになる。さらにネヴィルの描こうとする構図の中に、何事かが起こったことを暗示するように、ハーバートの着ている服の切れ端が混入。そしてついに12枚の絵が完成した時、ハーバートの死体が発見される。
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犯人は誰なのかというミステリー的興趣は皆無。それどころか、ストーリー性も希薄である。ならば全然面白くないのかというと、実はそうでもない。それは思わせぶりに出てくる各モチーフが、深読みが可能だからだ。
私は絵画には詳しくないが、散見されるシンメトリカルな構図は当時の美術のトレンドをトレースしたものだという。特に画家とハーバート夫人による終盤の場面は、ホーホやフェルメル等の、オランダの巨匠たちの絵を思い起こさせる。グリーナウェイによれば、本作が当時のイギリスの美術界におけるフランスからのカトリック的影響が廃れてオランダからのプロテスタント色が強くなったことを明示しているらしい。また、重商的資本主義が台頭してきたという時代背景と、ハーバート家の有り様は無関係ではあるまい。
カーティス・クラークのカメラによる硬質で刺々しい画面、マイケル・ナイマンのニューロティックな音楽も効果的だ。ネヴィル役のアンソニー・ヒギンズをはじめ、ジャネット・スーズマン、アン・ルイーズ・ランバート、ヒュー・フレイザーといった曲者ばかりのキャスティングは観ていて飽きさせない。
グリーナウェイ監督は近年も作品をコンスタントに手掛けているのだが、ほとんど日本で公開されていない。たぶん一筋縄ではいかないシャシンばかりなのだろうが、ぜひとも観てみたいものだ。
17世紀末のイギリス、画家のネヴィルは南部の富豪ハーバート家に招かれる。だが当主のハーバートは不在で、代わりに対応した夫人のヴァージニアは、夫が戻るまでに屋敷の絵を12枚完成させることをネヴィルに約束させる。早速翌日から仕事に取りかかるネヴィルだが、ハーバートの娘夫婦や住み込みの公証人らの怪しげな雰囲気に不信感を抱くようになる。さらにネヴィルの描こうとする構図の中に、何事かが起こったことを暗示するように、ハーバートの着ている服の切れ端が混入。そしてついに12枚の絵が完成した時、ハーバートの死体が発見される。
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犯人は誰なのかというミステリー的興趣は皆無。それどころか、ストーリー性も希薄である。ならば全然面白くないのかというと、実はそうでもない。それは思わせぶりに出てくる各モチーフが、深読みが可能だからだ。
私は絵画には詳しくないが、散見されるシンメトリカルな構図は当時の美術のトレンドをトレースしたものだという。特に画家とハーバート夫人による終盤の場面は、ホーホやフェルメル等の、オランダの巨匠たちの絵を思い起こさせる。グリーナウェイによれば、本作が当時のイギリスの美術界におけるフランスからのカトリック的影響が廃れてオランダからのプロテスタント色が強くなったことを明示しているらしい。また、重商的資本主義が台頭してきたという時代背景と、ハーバート家の有り様は無関係ではあるまい。
カーティス・クラークのカメラによる硬質で刺々しい画面、マイケル・ナイマンのニューロティックな音楽も効果的だ。ネヴィル役のアンソニー・ヒギンズをはじめ、ジャネット・スーズマン、アン・ルイーズ・ランバート、ヒュー・フレイザーといった曲者ばかりのキャスティングは観ていて飽きさせない。
グリーナウェイ監督は近年も作品をコンスタントに手掛けているのだが、ほとんど日本で公開されていない。たぶん一筋縄ではいかないシャシンばかりなのだろうが、ぜひとも観てみたいものだ。