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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「この世界の片隅に」

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 とても感銘を受けた。原作が長いせいか食い足りない箇所も散見されるが、全体的に技巧面はもとより物語の求心力が高いレベルで発揮されており、観る者を圧倒する。今年度の国産アニメーション映画の収穫は、「君の名は。」のようなお子様向け番組では断じてなく、本作である。

 昭和19年、主人公のすずは生まれ育った広島市江波を離れ、約20キロ離れた呉市に嫁いでくる。時に彼女が18歳の頃である。結婚相手とはそれまでロクに顔を合わせないままだったが、幸いにして夫は優しく、先方の家族も善良な者ばかりだ。戦争によって物資が欠乏してくるが、すずはそれでも工夫を凝らして家族の毎日の食卓を作り、家事をこなしてゆく。しかし戦争が進むにつれ、軍港であった呉は空襲の標的となり、彼女は大切なものを次々と失う。それでもなお、すずは前を向いて生きていくことをやめない。こうの史代の同名コミック(私は未読)の映画化だ。



 本作の最も優れている点は、日常生活と戦争との距離感の描出が絶妙であることだ。これはつまり、戦争に対するイデオロギー的な先入観や、センチメンタリズムの方向に振られたテイストなどを徹底的に排除していることを意味する。戦争を“ただ、そこにある事実”として捉え、それがもたらす大いなる災厄も、自然災害か何かのように受けとめられている。

 “ヒロインは前を向いて生きていくことをやめない”と書いたが、実際は“前を向いて生きる以外、何もできない”のである。戦災で家々が燃え、出征していった者達が帰らず、すずも重傷を負ってしまうが、そんな中でも庶民の生活は続いていく。そしてもちろん、そこには“笑い”もあれば“喜び”だってあるのだ。

 思えば、映画関係者を含めた何らかの“表現者”は、戦争の描き方について“こうあらねばならない”という特別のスタンスを(意識的・無意識的に関わらず)取ってしまうのではないか。もちろん、それぞれの見方に立脚して製作をおこない、成果を上げる例も少なくないだろう。しかしながら、言い換えればそれは作者のメンタリティを一歩も出ていないのだ。



 個的な“表現者”の視点とは別に、戦時中の名もなき市井の人々の生活は、確固として営まれている。それを体現するかのように、すずのキャラクターはノンシャランでマイペース。自分が何者であるか(何者かでなければならないか)を模索する前に、自分はこの世界の片隅に生きる取るに足らない人間であると自覚してしまっている。このアイデンティティーの確立は実に強固で、戦争の惨禍もそれを揺るがすことはできない。普通の人間として、ただ生きていればいい・・・・この頼もしい自己肯定こそが、本当は“前を向いて生きる力”の源泉に他ならないと宣言しているようだ。

 秀作「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)で知られる片渕須直の丁寧な演出は決して声高に主張したりはせず、隅々にまで配慮が行き届いている。パステル調の色遣いによる瑞々しい画面構築は、ため息が出るほどだ。すずの妊娠の顛末が語られなかったり、ヒロインの友人であるリンのプロフィールが描写不足だったりする欠点もあるが、それらの瑕疵も不問にしたくなってくる。

 声の出演ではすずをアテた“のん”こと能年玲奈の存在感が光る。事情によりなかなか仕事が出来ない境遇らしいが、逸材であることは間違いなく、今後も映画に出てほしい。コトリンゴによる音楽も好調。とにかく、極上の2時間余りを過ごすことができる逸品だ。

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