(原題:THE VIOLIN TEACHER)演出と脚本のクォリティが著しく低く、盛り上がりそうな題材を全然活かしていない。予告編を観た限りではとても面白そうで、なおかつオリンピックが開かれていたブラジルが舞台ということでタイムリーな番組だと思ったのだが、実物に接してみると“この程度”だったというのは落胆が大きい。配給会社も輸入する作品を選んでほしいものだ。
ヴァイオリニストのラエルチは腕は確かなのだが、極端にプレッシャーに弱く、サンパウロ交響楽団の最終審査に落ちてしまう。それでも家賃は払わねばならず、田舎にいる両親を安心させるためにも定職に就かなければならない。公共機関の紹介により、彼はスラム街の学校で音楽講師を務めることになる。その学校では一応学生オーケストラはあるのだが、教室には屋根もなく、生徒は意欲的なサムエルを除いて問題児ばかり。メンバーの中には楽譜が読めない者も目立つ始末で、早くもラエルチは窮地に陥る。
ある夜、帰宅途中のラエルチはチンピラに絡まれるが、突然ヴァイオリンの演奏を披露して相手を黙らせる。この一件を聞いた生徒たちは彼に一目置くようになり、練習に熱心に取り組むようになる。しかし、彼らを取り巻く過酷な環境は、そう簡単に音楽活動に集中することを許さなかった。
主人公と生徒達との交流が作劇のメインになると予想したが、ラエルチ自身の事柄について上映時間が多く割かれていたのには面食らった。もちろんそれが面白ければ文句は無いのだが、これが退屈極まりない。とにかく、描き方が表面的なのだ。
主人公がここ一番の踏ん張りがきかないタイプだということは分かるが、肝心の音楽の才能に関しては描写不足。子供の頃には“神童”と呼ばれたらしいが、回想シーンにはそれらしい様子はない。だいたい、チンピラから因縁を付けられる場面にも演奏する時間はほんの一瞬しか割り当てられていないのだから呆れる。
教師の力量が見極められないのならば、生徒の扱いにも気合が入らないのも当然。深く関わった生徒は2人しかおらず、あとは“その他大勢”扱いだ。劇中で流れる音楽は単なるBGMの域を出ず。それもブツ切りで興趣の欠片も無い。作者が音楽の何たるかを全然理解していないことが丸見えだ。
実話の映画化らしいが、“本当にあったことだから納得しろ”と言わんばかりの横柄さが散見され、中盤から面倒臭くなってきた。ラストの処理に至っては説明不足も甚だしく、まるで作劇を放り出したような醜態である。
セルジオ・マシャードの演出はメリハリが無く、モタモタしたドラマ運びに終始。主演のラザロ・ハーモスは本国ではかなり名の知られた俳優らしいが、本作に関してはまるで精彩を欠く仕事ぶりだ。彩度の低い、やたら暗い画面にも脱力。観なくても良い映画である。