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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「ヤング・アダルト・ニューヨーク」

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 (原題:WHILE WE'RE YOUNG )作者の“魂胆”が見え透いており、全然愉快になれないシャシンだ。もっとも、筋書きが型通りでも語り口が巧みならば評価できるのだが、これが凡庸きわまりないので途中で面倒くさくなってくる。あとは眠気との戦いに終始。正直、観たことを後悔してしまうような映画である。

 ニューヨークのブルックリンに住むドキュメンタリー映画監督のジョシュと、その妻で映画プロデューサーのコーネリアは共に40歳代半ば。子供はいない。ジョシュはスランプ気味で新作を手掛けられず、アートスクールの講師をやって糊口を凌いでいる。コーネリアは著名な監督である父親の作品を担当しているが、先の見えない状態であるのは夫と同じである。ある日、2人はアートスクールの聴講生である監督志望のジェイミーとダービーの若夫婦と知り合う。彼らは流行のデジタルデバイスに背を向け、レトロかつクリエイティヴな生活を送っている。ジョシュとコーネリアは彼らに触発され、元気を取り戻していく。しかし、実はジェイミーはとんだ食わせものであり、自身の映画作りにジョシュ達を巻き込もうとしていたのだ。やがてジョシュは、難しい立場に置かれることになる。

 要するに、トシばかり取って何の実績もあげていないのではと悩む中年夫婦が、溌剌と見える若い者達と知り合ったことにより柄にも無く頑張ってしまうものの、結局は身の程を知るという、あまり奥深いとは思えないハナシを予定調和的に綴っているだけだ。カルチャーギャップを前面に出して似非インテリ中年の悲哀を描いたつもりだろうが、あいにくそのような単純な図式に乗せられてしまうほど、こちらはナイーヴではない。

 だいたい、ちゃんとしたカタギの人間ならば、ジェイミーのような胡散臭い若造に容易く丸め込まれたりしないのだ。それは主人公が行き詰まった映像作家だろうと、子供がいない家庭だろうと、たとえ独身であったとしても関係ない。単に考えが足りないだけである。ジェイミーの佇まいも、いかにもワザとらしくて脱力してしまう。

 監督のノア・バームバックは“ウッディ・アレンの後継者”みたいな評価を受けているらしいが、有能かつ海千山千のアレンとは比べるのもおこがましい。アレンならばこのような無理筋の設定も軽妙洒脱なコメディに仕立て上げてしまうのだろうが、バームバックの演出は平板に過ぎる。テンポは悪いし、ギャグの振り方もイマイチだ。音楽の使い方は凝っているが、何やら“オレって、センス良いだろ”と言わんばかりの選曲には閉口する。

 主演のベン・スティラーをはじめ、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライヴァー、マンダ・サイフリッド、チャールズ・グローディンと、結構多彩なキャストを集めているのに、もったいない話である。

 余談だが、ジェイミーの家にはアナログレコードが山積みにされており、彼はそれをPIONEERの古いプレーヤーを使って聴くのだが、その様子にジョシュが“コイツは上の世代と話が合う”と勝手に合点してしまうくだりはけっこう痛々しい。彼のこの趣味は、文字通り自分の好みでしかない。オジサン層に共感してどうのこうのというハナシでは決してないのである。最近はアナログレコードを好む若い世代が増えつつあるらしいが、この動きを“古い世代の価値観(?)”で捉えてその範囲内での商品展開しか出来ないというのも、送り手側の独善でしかないと思う。

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