(原題:TRUMBO)正直な話、個人的には逆境にあえぐ脚本家ダルトン・トランボ(およびその家族)の奮闘よりも、彼を糾弾する下院非米活動委員会とそのシンパ連中の精神構造の方に興味がある。もちろんローゼンバーグ事件などのスキャンダルが発生して、当時の米国内の共産主義に対するアレルギーは極限にまで達していたと思われるが、それでも関係の無い映画関係者や学者にまでに迫害の範囲を広げていったという、その病的な思考形態はどこから起因するものなのか。単なる“ヒステリー現象”と片付けて良いものなのだろうか。そのあたりをもっと突っ込んでほしかった。
1940年製作の「恋愛手帖」でアカデミー賞脚色賞候補になるなど、着実にキャリアを積んできたダルトン・トランボだが、第二次大戦後の冷戦下に起きた赤狩りのターゲットになり、当局側への協力を拒否したことで投獄されてしまう。釈放後も彼は表立っては活動は出来ず、偽名で執筆を続けて「ローマの休日」(53年)をはじめとする注目作を次々に発表する。
映画で扱われている事実は実に興味深い。なるほど、こんなことが起こったのかと、深く感じ入った次第だ。トランボを支える妻や子供達の“心意気”も素晴らしい。
そして一番印象的だったのは、冷や飯を食わされていたトランボをあえて雇い入れ、B級作品ながら仕事の場を与えた弱小映画会社(キング映画社)の経営者達である。そこには“有名脚本家の作品を安く買える”という打算があったことは確かだが、映画に対する矜持はしっかりとある。トランボの作品を起用することにケチを付けるために乗り込んできた“赤狩り推進派”の輩を、社長がバット片手に追い返す場面は本作のハイライトだろう。
ただ、前述のように“迫害する側”の事情が深く描かれていないことに対しては、不満を覚えてしまうのだ。当然のことながら、ハリウッドとしては最初から赤狩りは絶対悪として扱われているし、そうせざるを得ない背景もある。だが、本作においてトランボに助け舟を出すカーク・ダグラスやオットー・プレミンジャーよりも、敵対するゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパーの不気味さの方がインパクトが強いのだ。こちらの方もトランボと対比するように深く描き込めば、より映画的興趣は大きくなったと思う(まあ、それが難しいことは承知しているが ^^;)。
ジェイ・ローチの演出は堅実そのもので、技巧的には文句の付けようが無い。主演のブライアン・クランストンは好演で、ダイアン・レインやルイ・C・K、エル・ファニング、ジョン・グッドマン、そしてホッパーに扮するヘレン・ミレンなど、他のキャストも皆良い仕事をしている。セオドア・シャピロの音楽やジム・デノールトによるカメラワークも万全だ。しかしながら、以上のような釈然としない点があるので、諸手を挙げての大絶賛は控えさせていただく。