2002年製作の崔洋一監督作。花輪和一のコミックの映画化だが、まさに“観ると刑務所に入りたくなるヤバい映画”という評価がピッタリの快作だ。同監督は演出本数のわりには良い映画は少ないが、“完全なバカ”である井筒和幸監督とは違って、題材によってはたまにクリーンヒットを飛ばせる実力はあるのだと思う。この作品はその好例。
主人公・ハナワは銃砲刀剣類等不法所持及び火薬類取締法違反で懲役3年の実刑判決を受け、北海道の日高刑務所に送られた。雑居房で4人の受刑者たちと暮らす日々だが、規則正しい生活はそれまで無軌道な人生を送ってきた彼にとってある意味新鮮であった。ところがある日、看守から違法なメモを見つけられた5人は、それぞれ懲罰房に入れられてしまう。だが、一人で袋貼りに勤しむハナワは、また違った生活の充実感を得るのであった。
断っておくが、これはあくまで主人公の目から見た優雅な刑務所ライフの点描であって、すべての服役者が塀の中の生活を満喫しているわけがない(刑務所がそんなに楽しいものなら、禁固刑の意味がなかろう)。主人公の罪状が銃の不法所持という比較的軽いものであり、逮捕に至る経過も人に危害を加えるものではなかったという点も大きいと思う。これが殺人や強盗といった凶悪犯罪なら受刑者の心情もかなり変わってくるはずだ。
しかも、娑婆での主人公は孤独で、面会人もなく、塀の外に対してほとんど思い入れがない。だからこそ刑務所内でのマイペースな日々を楽しめてしまうのだろう。この映画の手柄は、こういう“単なる変わった服役者”を山崎努という老練な俳優に演じさせることにより、主人公像を誰もが納得できるレベルにまで引き上げたことである。これで映画がありふれた刑務所ドラマの次元を離れ、すべてが主人公の目を通して描かれるパーソナルな物語であることを観客は知ることになる。
規則正しく単調とも思える生活の中で、ちょっとした出来事にニヤついたり安堵感を覚える。そういうささやかな喜びを見い出すことも、人生の機微ではないかと、静かに主張しているようだ。その意味で出色なのは終盤の懲罰房の描写である。終盤の個室での日々。誰に気兼ねすることもなく、自分だけの生活を送る。これは一種のユートピアであり、かつまたそんな孤独な毎日を“ユートピアだ”と感じてしまう人間の心の玄妙さをも活写している。
崔洋一の演出は実に丁寧で、余計なケレンもない。香川照之、田口トモロヲ、松重豊、大杉漣、窪塚洋介といった脇のキャラクターも実に味がある。
主人公・ハナワは銃砲刀剣類等不法所持及び火薬類取締法違反で懲役3年の実刑判決を受け、北海道の日高刑務所に送られた。雑居房で4人の受刑者たちと暮らす日々だが、規則正しい生活はそれまで無軌道な人生を送ってきた彼にとってある意味新鮮であった。ところがある日、看守から違法なメモを見つけられた5人は、それぞれ懲罰房に入れられてしまう。だが、一人で袋貼りに勤しむハナワは、また違った生活の充実感を得るのであった。
断っておくが、これはあくまで主人公の目から見た優雅な刑務所ライフの点描であって、すべての服役者が塀の中の生活を満喫しているわけがない(刑務所がそんなに楽しいものなら、禁固刑の意味がなかろう)。主人公の罪状が銃の不法所持という比較的軽いものであり、逮捕に至る経過も人に危害を加えるものではなかったという点も大きいと思う。これが殺人や強盗といった凶悪犯罪なら受刑者の心情もかなり変わってくるはずだ。
しかも、娑婆での主人公は孤独で、面会人もなく、塀の外に対してほとんど思い入れがない。だからこそ刑務所内でのマイペースな日々を楽しめてしまうのだろう。この映画の手柄は、こういう“単なる変わった服役者”を山崎努という老練な俳優に演じさせることにより、主人公像を誰もが納得できるレベルにまで引き上げたことである。これで映画がありふれた刑務所ドラマの次元を離れ、すべてが主人公の目を通して描かれるパーソナルな物語であることを観客は知ることになる。
規則正しく単調とも思える生活の中で、ちょっとした出来事にニヤついたり安堵感を覚える。そういうささやかな喜びを見い出すことも、人生の機微ではないかと、静かに主張しているようだ。その意味で出色なのは終盤の懲罰房の描写である。終盤の個室での日々。誰に気兼ねすることもなく、自分だけの生活を送る。これは一種のユートピアであり、かつまたそんな孤独な毎日を“ユートピアだ”と感じてしまう人間の心の玄妙さをも活写している。
崔洋一の演出は実に丁寧で、余計なケレンもない。香川照之、田口トモロヲ、松重豊、大杉漣、窪塚洋介といった脇のキャラクターも実に味がある。