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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「スポットライト 世紀のスクープ」

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 (原題:Spotlight )全然ピンと来ない映画である。いくら新聞記者を主人公に据えてジャーナリズムの役割を問う骨太な内容であるとはいっても、日本人になじみの薄い宗教ネタ。しかも、扱われている出来事が明るみになった後も、何がどう変わったのかほとんど説明されていない。いきおい“ユダヤ系勢力(ハリウッド)がカトリックを糾弾しただけの映画”というような、穿った見方も真実味を帯びてくる。

 2002年、ボストンの地元紙ボストン・グローブで“スポットライト”と銘打った一面記事を担当しているチームに、新しい編集長が赴任してきた。それは会社がニューヨーク・タイムズ紙に買収されたことによる人事の一環である。彼はカトリック神父の性的児童虐待の実態を取り上げるようにスタッフに指示を出す。

 課員たちは最初乗り気ではなかったのだが、調べていくうちにボストンだけで性的虐待の加害者神父が13人もいることを突き止める。さらに取材を進めると、13人どころじゃなくて90人ぐらい存在するという話になり、しかもその事実をカトリック教会側が組織ぐるみで隠蔽していた疑惑が持ち上がる。記者たちは妨害に遭いながらも精力的に動き、やがてこのスキャンダルの全貌を掴むことに成功する。実話の映画化だ。

 カトリックの神父たちの多くがこのような不祥事を起こし、それを教会側がもみ消したという事実には驚くべきものがある。本来信者たちの心の支えとなるべき聖職者にはあるまじき行為であり、これを暴いた記者たちの活躍は評価されよう。

 しかし、事件が解明されても(当事者達はペナルティを受けたものの)教会側の体制が一新されたとか、バチカンが謝罪したとか、法王の首が飛んだとか、そういう話は聞いたことがない。カトリック教会は相変わらず存在し続け、地域の信者を集めている。グローブ紙としては“組織ぐるみの犯行を暴きたい”と息巻いていたにもかかわらず、事態が根本的に好転したようには、とても見えないのだ。

 映画ではこの事件の背景に神父の採用実態や人事などの問題があったことが述べられるが、それらがどう改善したのかは全然見えない。そもそも、いくらスキャンダルが起こっても教会を心の拠り所にしている地域信者たちの心情さえフォローしていないのだ。

 もちろん、かの国ではそんなことをあえて映画で説明しなくても“周知の事実”として認識されていることも考えられるが、観ているこちらとしては不満が募る。記者たちは奮闘するが、同じく大きな事件に挑む新聞記者の活躍を描いたアラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」(76年)に比べると、敵の存在がハッキリしていない分、隔靴掻痒の感が否めない。

 トム・マッカーシーの演出は丁寧だが、メリハリに欠けて冗長に感じる部分がある。ひょっとして監督自身がカトリックに対して腰が引けていたのではないかと思うほどだ。マーク・ラファロやマイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、スタンリー・トゥッチらキャストは皆好演で、高柳雅暢のカメラやハワード・ショアの音楽も的確なのだが、それだけでは映画全体を評価するわけにはいかない。

 なお、ニューヨークタイムズはユダヤ人が有する巨大メディアの一つで、映画での新任の編集長もユダヤ系。このネタをボストン・グローブ紙が取り上げるようになったのは、親会社の指示だろう。このあたりも、妙に臭う。

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