(原題:Chapter Two )79年作品。ブロードウェイを代表する喜劇作家であるニール・サイモンの脚本の映画化作品では、やっぱり「グッバイガール」(77年)が一番出来が良いと思う。本作はそれから2年後に作られたが、クォリティは「グッバイガール」より少し落ちる。しかしながら、これはこれで悪くない仕上がりだし、サイモンの自伝的要素も興味深い。観て損は無いシャシンである。
ニューヨークに住む売れない作家のジョージは妻を亡くし、その悲しみを忘れるため旅行に出かけるが、かえって妻のことを思い出してしまい憔悴して戻ってくる。一方、あまり仕事が無い女優のジェニーはダンナと別れたばかりで、見かけの明るさとは裏腹に落ち込んでいた。ジョージは弟のレオの勧めで、ジェニーは友人のフェイからの進言で、それぞれブラインド・デートを繰り返すが、ロクな相手にめぐり会えない。
ある日、レオの手違いからジョージはジェニーと5分間デートをやるハメになる。ところが会った途端に互いを気に入り、本格的なデートに発展。やがて結婚までこぎつけるが、西インド諸島へのハネムーンに出発した2人を辛い出来事が待っていた。果たして困難を乗り越えて彼らは“人生の第2章”に踏み込むことが出来るのか・・・・といった話だ。
互いに連れ合いと別れた大人の男女のアバンチュールを描く本作は、題材としてはありふれている。少なくとも男の側をエキセントリックな舞台役者に設定した「グッバイガール」に比べると、インパクトに欠けるのは否めない。加えて、監督のロバート・ムーアは職人ではあるが、アーサー・ヒラーやハーバート・ロスといった歴代のサイモン作品の映画化でメガホンを取った面々と比較するのはおこがましい。結果として、分かりやすいがメリハリには欠けるやや平板な出来になった。
ただそれでも個々のシチュエーションやセリフの面白さに“サイモン印”は見て取れるし、終盤近くのジェニーがジョージに心境を打ち明けるシーンにはぐっとくる。主演のジェームズ・カーンとマーシャ・メイスンも好調だ。しかもメイスンはサイモンと結婚していたことがあり、そのあたりの楽屋落ち的な興趣もある。
脇を固めるジョセフ・ボローニャとヴァレリー・ハーパーはコメディ・リリーフとして良い仕事をしているし、マーヴィン・ハムリッシュの音楽も冴えている。この映画の主人公達だけではなく、誰の人生にも第2章はもちろん、第3章や第4章だってある。一度や二度つまずいても、まだまだチャンスはあると思う。悲観せずに、ポジティヴに行きたいものだ。
ニューヨークに住む売れない作家のジョージは妻を亡くし、その悲しみを忘れるため旅行に出かけるが、かえって妻のことを思い出してしまい憔悴して戻ってくる。一方、あまり仕事が無い女優のジェニーはダンナと別れたばかりで、見かけの明るさとは裏腹に落ち込んでいた。ジョージは弟のレオの勧めで、ジェニーは友人のフェイからの進言で、それぞれブラインド・デートを繰り返すが、ロクな相手にめぐり会えない。
ある日、レオの手違いからジョージはジェニーと5分間デートをやるハメになる。ところが会った途端に互いを気に入り、本格的なデートに発展。やがて結婚までこぎつけるが、西インド諸島へのハネムーンに出発した2人を辛い出来事が待っていた。果たして困難を乗り越えて彼らは“人生の第2章”に踏み込むことが出来るのか・・・・といった話だ。
互いに連れ合いと別れた大人の男女のアバンチュールを描く本作は、題材としてはありふれている。少なくとも男の側をエキセントリックな舞台役者に設定した「グッバイガール」に比べると、インパクトに欠けるのは否めない。加えて、監督のロバート・ムーアは職人ではあるが、アーサー・ヒラーやハーバート・ロスといった歴代のサイモン作品の映画化でメガホンを取った面々と比較するのはおこがましい。結果として、分かりやすいがメリハリには欠けるやや平板な出来になった。
ただそれでも個々のシチュエーションやセリフの面白さに“サイモン印”は見て取れるし、終盤近くのジェニーがジョージに心境を打ち明けるシーンにはぐっとくる。主演のジェームズ・カーンとマーシャ・メイスンも好調だ。しかもメイスンはサイモンと結婚していたことがあり、そのあたりの楽屋落ち的な興趣もある。
脇を固めるジョセフ・ボローニャとヴァレリー・ハーパーはコメディ・リリーフとして良い仕事をしているし、マーヴィン・ハムリッシュの音楽も冴えている。この映画の主人公達だけではなく、誰の人生にも第2章はもちろん、第3章や第4章だってある。一度や二度つまずいても、まだまだチャンスはあると思う。悲観せずに、ポジティヴに行きたいものだ。