Quantcast
Channel: 元・副会長のCinema Days
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

「おとうと」

$
0
0
 昭和35年大映作品。好き嫌いは別にして、この時代に撮られた映画としてはストイックな美意識が横溢していると思った。決して万全ではない家族の有り様を取り上げ、終わり近くには愁嘆場もあり、いくらでもメロドラマ方向に振ることが出来る題材ながら、作者の強靱な意志がそれを許さない。確かに見応えはある。

 時代は大正期。東京向島に住むげんと碧郎は共に学生で、三つ違いの姉弟である。父親は作家だが、母親は後妻であり、しかもリューマチを患っていて手足がきかず、ほとんど寝たきりだ。碧郎の素行はよろしくなく、万引きで補導されたのを皮切りに、不良仲間とつるんで危ない橋ばかり渡っている。ついには転校せざるを得なくなるが、新しい学校でもヤンチャぶりは直らない。一時期は乗馬に凝りだし、土手を疾走中に転倒して馬の足を折ってしまった。高い弁償金を払わねばならなくなった父親の態度は硬化し、家庭は暗くなるばかり。



 やがて、17歳になった碧郎を不幸が襲う。その頃は不治の病とされていた結核に罹患したのだ。げんは遠くない将来に訪れる弟との別れを覚悟するのであった。幸田文による同名小説の映画化である。

 まず強烈に印象付けられるのは、この作品で世界で初めて用いられた“銀残し”と呼ばれる現像手法である。カメラマンの宮川一夫が考案したもので、全体的な画調をモノクロとセピア色の中間のようなカラーに統一し、その中で特定の色彩を意図的に浮かび上がらせることによって、映像の求心力を高めようというメソッドだ。これが単に奇をてらったものではなく、象徴的に扱われる事物に限定してカラーリングを際立たせることにより、見事に“映像に語らせる”ことに成功している。

 登場人物の立ち振る舞いやセリフ回しは、かなり硬い。しかしそれは決してキャストの演技力不足によるものではなく、語り口がウェットに流れることを拒絶している作者のスタンスを表明している。しかもそれによって、スクエアーなタッチの裏に隠された各キャラクターの懊悩が浮き彫りになっていく。

 まるで親子や恋人同士のようなげんと碧郎との関係、身体が自由にならない境遇によって“神”に縋ってしまう母、凡夫に過ぎない自分の現状を受け入れざるを得ない父、それらの屈託が画面からヒリヒリと伝わってくる。さらにはラストの突き放したような処理は、まさに身を切られるようだ。

 市川崑の演出はキレがあって、なおかつパワフルだ。スクリーンの隅々にまで緊張感を行き渡らせている。げん役の岸惠子は女学生を演じるには年を取りすぎているが、後半に見せる着物姿などでは美しさが際立つ。碧郎に扮する川口浩は、ささくれ立った若者の心情を上手く表現して絶品だ。

 父親役の森雅之も渋くて良いのだが、母の田中絹代が“鬱陶しい中年女”を巧妙に演じて、まさに圧巻。浜村純や岸田今日子、仲谷昇、江波杏子といった脇の面子も、かなり濃い。また芥川也寸志の音楽が、劇中の不安感を煽るような不協和音を洗練された形で打ち出し、抜群の効果を上げている。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

Trending Articles