1928年製作。「一本刀土俵入」(34年)「或る夜の殿様」(46年)などで知られる往年の日本映画の巨匠の一人、衣笠貞之助が「狂った一頁」(26年)に続いて撮った時代劇で(もちろん、サイレント)、当時は“実験映画”と騒がれたらしい。なお、私は本作を某映画祭の特集上映で観ている。
観終わって驚いた。一時間ちょっとの上映時間だが、娯楽映画に必要なエッセンスをすべてつぎ込み、かつ野心的で芸術性も高いという、実に先鋭的な作品ではないか。
舞台は吉原。遊女の一人に恋をした青年(阪東寿之助)は、今夜も彼女に言い寄ろうとして、用心棒に叩き出される。仕立て屋で奉公している姉(千早晶子)のもとへ逃げ帰った彼は、姉が作っている着物を無理矢理取り上げ、吉原の彼女にプレゼントしようと戻る。ところがもとより尻の軽い女で、彼の前で別の男とくっついているところを見せつける。
激怒した彼はその男を斬ろうとするが、囲炉裏の灰を投げつけられ、一時的に失明。混乱の中で彼は男を殺したと思い込み、姉と二人で逃げようとする。しかし、姉に迫るニセ役人が事態をますます悪化させていき・・・・。
すべて夜間撮影。漆黒の闇と吉原の喧噪との目を見張るコントラスト、縁日の見せ物がドラマとオーヴァーラップしていくあたりの映像処理、スピード感あふれる演出が生き急いだ主人公たちの疾走感をあらわしていて秀逸。サイレント作品とはいえ、オーバーなまでの俳優の演技と効果的な殺陣はアクション映画としての側面を強調する。
吉原の騒乱と、弟を待って夜の十字路に立ち尽くす姉を対比させて描く印象的なラストまで、イッキに見せきるこの演出力。姉を演じる千早晶子の恍惚とした美しさも相まって、忘れられない作品となった。衣笠監督の作品をもっと観たいものである。
実は封切り当時の公開版はすでに失われていて、観たのは海外の映画祭に出品された“国際版”である。そのため字幕はすべて英語だ。比較的セリフの少ない映画なので、私のつたない語学力でも何とかストーリーを追うことができたが、映画というものは本気で保存しないとアッという間に失われる“文化財”であることを痛感した私である。
観終わって驚いた。一時間ちょっとの上映時間だが、娯楽映画に必要なエッセンスをすべてつぎ込み、かつ野心的で芸術性も高いという、実に先鋭的な作品ではないか。
舞台は吉原。遊女の一人に恋をした青年(阪東寿之助)は、今夜も彼女に言い寄ろうとして、用心棒に叩き出される。仕立て屋で奉公している姉(千早晶子)のもとへ逃げ帰った彼は、姉が作っている着物を無理矢理取り上げ、吉原の彼女にプレゼントしようと戻る。ところがもとより尻の軽い女で、彼の前で別の男とくっついているところを見せつける。
激怒した彼はその男を斬ろうとするが、囲炉裏の灰を投げつけられ、一時的に失明。混乱の中で彼は男を殺したと思い込み、姉と二人で逃げようとする。しかし、姉に迫るニセ役人が事態をますます悪化させていき・・・・。
すべて夜間撮影。漆黒の闇と吉原の喧噪との目を見張るコントラスト、縁日の見せ物がドラマとオーヴァーラップしていくあたりの映像処理、スピード感あふれる演出が生き急いだ主人公たちの疾走感をあらわしていて秀逸。サイレント作品とはいえ、オーバーなまでの俳優の演技と効果的な殺陣はアクション映画としての側面を強調する。
吉原の騒乱と、弟を待って夜の十字路に立ち尽くす姉を対比させて描く印象的なラストまで、イッキに見せきるこの演出力。姉を演じる千早晶子の恍惚とした美しさも相まって、忘れられない作品となった。衣笠監督の作品をもっと観たいものである。
実は封切り当時の公開版はすでに失われていて、観たのは海外の映画祭に出品された“国際版”である。そのため字幕はすべて英語だ。比較的セリフの少ない映画なので、私のつたない語学力でも何とかストーリーを追うことができたが、映画というものは本気で保存しないとアッという間に失われる“文化財”であることを痛感した私である。