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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「塀の中のジュリアス・シーザー」

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 (原題:CESARE DEVE MORIRE)実に面白い。虚構と現実との境界を超えていくことは映画的興趣の一つであり、それを見事に結実させた作品には過去に何本か接したことがあるが、本作はそのスケールの大きさにより異彩を放っている。ただし、作品世界は巨大であるにもかかわらず、御膳立てはミニマムなのだ。その落差にも目を見張る。

 ローマ郊外にあるレビッビア刑務所の重警備棟では、囚人たちによる演劇の実習が定期的に行われている。今回の演目はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」だ。映画は冒頭に本番でのラストシーンを披露し、それから数ヶ月前に時制を遡らせてオーディションから劇の完成までを描いていく。キャストは元囚人もいるが、出てくる大半の服役囚は本物。演出家も刑務官も実際の人物が本人役で出演している。

 本当の囚人達が映画の中の登場人物を演じ、そしてさらに彼らはシェイクスピア劇のキャラクターを演じている。いわばメタ映画的な二重構造を設定した上で、公演の舞台になるホールが工事中であるため、稽古は刑務所のいたるところで行われるという絶妙なモチーフが挿入される。また公演には外部から観客を呼ぶことになっており、囚人達にとってシャバの空気に触れる数少ないチャンスでもあるのだ。だから稽古にも自然と熱が入る。

 彼らは役作りに没入することにより、やがて役柄と自身のキャラクターがオーヴァーラップしてくる。劇中のセリフを繰り返すうちに、しがない服役囚が古代の為政者になり、殺風景な刑務所がローマの宮廷になる。もちろん、実際に“そう見える”ような特殊映像処理が施されているわけではない。だが、出演者の必死のパフォーマンスは時空の扉をこじ開けるのだ。

 さらに、劇の登場人物の造型に服役囚自身の人生までもがダブってくる。彼らの多くはマフィアの元構成員で、刑期も長い。ギャングになりたくてなった者もいるかもしれないが、多くは恵まれない生い立ちのため、悪の道しか残されていなかったのが実情だろう。囚人の一人が稽古中に“ローマはひどいが、俺の生まれ故郷のナポリもひどい”と述懐する場面は、現代と古代とを繋ぐ二次元軸で展開していた作劇が、横の空間の広がりまでも獲得するスリリングなシチュエーションを演出していると言えよう。

 2012年のベルリン国際映画祭の大賞獲得作品で、監督のパオロ&ヴィットリオ・タビアーニとしても出世作「父/パードレ・パドローネ」以来の闊達な仕事ぶりを見せつけている。終盤、独房に戻った登場人物の一人が“芸術に触れることが出来た今、真の孤独を知ることになった”と呟くシーンは印象的だ。優れた芸術が持つベクトルは、観る者の内面まで照射する。もちろん、映画芸術も例外ではないのだ。

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