(原題:SILS MARIA)同じくジュリエット・ビノシュが主演した「トスカーナの贋作」(2010年)同様、わくわくするような映画的興奮を味わえる。間違いなく本年度のヨーロッパ映画の収穫のひとつで、本当に観て良かったと思える逸品だ。
ベテラン女優マリアは、演劇関係の授賞式のため若い女性マネージャーのヴァレンティンと共にスイスに来ていた。ところが、突然に恩師である舞台監督の死を告げられて動揺する。そんな時、その演出家の代表作であり、彼女が若い頃に主演した出世作「マローナの蛇」の再演のオファーが届く。
当然また自分が主役を張れると思ったマリアだが、彼女に振られた役は自身がかつて演じた小悪魔的な若い女ではなく、ヒロインに翻弄される中年女性の役だった。迷ったあげく役を引き受けたマリアは、当地にある演出家の別荘に住み込んでヴァレンティンを相手に台本の読み合わせを開始するが、主人公を演じられないという厳然たる事実が次第に彼女を追い込んでゆく。
マリアの年齢ではこの演劇の主役になれないことは当たり前で、本人もそれは頭では分かっているが、それでも大女優のプライドとしてはそれを認めたくはない。中盤、時間を割いて描かれるヴァレンティンとの読み合わせの場面は、その現実を受け入れざるを得ないという理性と、断固拒否したいという感情とが交じり合うマリアの内面がヴィヴィッドに描出されて圧巻である。
それはまたフィクションの世界が現実と拮抗していくスリリングなプロセスを示していることはもちろん、ビノシュ本人の女優としてのキャリアが反映していることも見逃せない。新しく主演に据えられたアメリカの若手女優に扮しているのはクロエ・グレース・モレッツだが、若い頃のビノシュは今のモレッツ以上に“尖った”存在であった。しかし時は流れてかつてのビノシュのポジションをモレッツの世代が担うことをドラスティックに提示しているあたりも、実に感慨深いものがある。
そして達観した位置にいてこの新旧交代劇を冷静に見つめるヴァレンティンの存在も、ドラマに奥行きを与えている。彼女の“真の役割”が暗示される終盤は、アルプスの山々を蛇のように流れる神秘的な雲の動きにも象徴され、その存在感は際立っている。演じるクリステン・スチュワートの仕事ぶりは素晴らしく、ルックスのマイナス面を差し引いても(笑)十分評価に値する。
オリヴィエ・アサイヤス監督作を観るのは「冷たい水」(94年)以来だが、本作での演出力の高さはすでに“巨匠”の風格を漂わせている。美しいスイスの風景と、豪華なシャネルの衣装、そして効果的なクラシック音楽の起用。額縁に入れて飾りたくなるような映画である。