2001年東宝作品。本作は封切り当時に映画好きの仲間達と徒党を組んで観に行ったのだが、冒頭の“数年前にゴジラに酷似した怪獣がアメリカを襲ったが、日本の関係者はそれをゴジラだとは認めていない”とのナレーションに大笑いしたのは我々のグループだけだった(浮いているなー ^^;)。言うまでもなく、ローランド・エメリッヒ監督によるハリウッド版(98年)をバカにしたフレーズだが、あの映画のレベルの低さは今でも特撮映画ファンの物笑いの種になっているようだ。
舞台は初代ゴジラの襲撃から復興した“もうひとつの日本”。グアム島沖で消息を絶った米原子力潜水艦の捜索に向かった日本海軍が、海底でゴジラと思われる生物を発見する。防衛軍の立花准将は上層部に対して警戒を促すが、弛みきった軍当局は立花の意見を聞き入れない。一方、各地で怪生物の目撃情報が飛び交うようになる。
オカルト番組のリポーターで立花の娘である由里は、それらの現場が日本古来の怪獣が眠っている場所と事件発生現場が一致していることに気付き、独自取材を開始。そんな中、ゴジラがいきなり静岡県に上陸する。同じ頃に地中から出現したバラゴンをはじめ、そして横浜に移動してキングギドラやモスラと対戦。ところが今回のゴジラの強さはハンパなく、他の怪獣をまったく寄せ付けない。さてどうなるのか・・・・という話だ。
タイトルバックの雰囲気からラストに流れる伊福部昭の“ゴジラのテーマ”などからして、原点回帰というか、大昔の“怖いゴジラ”の再現を試みようとの金子修介監督の意志は強く感じられる。しかしながら怪獣がバタバタと出てくる中盤の展開は上手くない。
ゴジラが先の戦争で犠牲になった人々の残留思念の集合体であり、キングギドラが“ヤマトの守り神”というのも、なんか違う気がする。ついでに言うと、モスラの唄も出てこない(笑)。でも、クライマックスの怪獣バトル・ロワイアル場面はなかなかの迫力。日本人の平和ボケを揶揄したシーンが散見されるのも面白い。
なお、宇崎竜童の司令官は貫禄不足(もっと演技派のベテラン俳優を配した方が良かった)。ヒロイン役の新山千春は、いつもながらの大根。佐野史郎や南果歩、大和田伸也、村井国夫、天本英世、中村嘉葎雄、津川雅彦と脇は結構豪華だが、顔見世興行の域を出ない。
このシリーズはこの頃“昭和29年の第一作以降はなかったことにする設定”が目立つようになっていたが、久々に日本で製作される次回作はどういう切り口を持ってくるのか、ちょっと気になるところだ。
舞台は初代ゴジラの襲撃から復興した“もうひとつの日本”。グアム島沖で消息を絶った米原子力潜水艦の捜索に向かった日本海軍が、海底でゴジラと思われる生物を発見する。防衛軍の立花准将は上層部に対して警戒を促すが、弛みきった軍当局は立花の意見を聞き入れない。一方、各地で怪生物の目撃情報が飛び交うようになる。
オカルト番組のリポーターで立花の娘である由里は、それらの現場が日本古来の怪獣が眠っている場所と事件発生現場が一致していることに気付き、独自取材を開始。そんな中、ゴジラがいきなり静岡県に上陸する。同じ頃に地中から出現したバラゴンをはじめ、そして横浜に移動してキングギドラやモスラと対戦。ところが今回のゴジラの強さはハンパなく、他の怪獣をまったく寄せ付けない。さてどうなるのか・・・・という話だ。
タイトルバックの雰囲気からラストに流れる伊福部昭の“ゴジラのテーマ”などからして、原点回帰というか、大昔の“怖いゴジラ”の再現を試みようとの金子修介監督の意志は強く感じられる。しかしながら怪獣がバタバタと出てくる中盤の展開は上手くない。
ゴジラが先の戦争で犠牲になった人々の残留思念の集合体であり、キングギドラが“ヤマトの守り神”というのも、なんか違う気がする。ついでに言うと、モスラの唄も出てこない(笑)。でも、クライマックスの怪獣バトル・ロワイアル場面はなかなかの迫力。日本人の平和ボケを揶揄したシーンが散見されるのも面白い。
なお、宇崎竜童の司令官は貫禄不足(もっと演技派のベテラン俳優を配した方が良かった)。ヒロイン役の新山千春は、いつもながらの大根。佐野史郎や南果歩、大和田伸也、村井国夫、天本英世、中村嘉葎雄、津川雅彦と脇は結構豪華だが、顔見世興行の域を出ない。
このシリーズはこの頃“昭和29年の第一作以降はなかったことにする設定”が目立つようになっていたが、久々に日本で製作される次回作はどういう切り口を持ってくるのか、ちょっと気になるところだ。