とても感銘を受けた。別にドラマティックなストーリーが展開されるわけでもなく、強烈なキャラクターの持ち主が出てくるわけでもない。ただ作者の子供時代を淡々と綴っているだけなのだが、内容と文体がすこぶるレベルが高く、読み手の心を掴んで離さない。夏目漱石の門下であった中勘助の著作を読むのはこれが初めてだが、明治44年から大正2年にかけて彼が20代だった頃に書かれているのを知るに及び、その才能の大きさにはびっくりさせられる。
主人公が古い茶箪笥の引き出しから小さな銀の匙を見つけたことから、幼年期の伯母との愛情に包まれた日々を回想していく。注目すべきは、子供なりに感受性を育んでいくその過程が、まるで子供の目から見たような次元で語られていることだ。
文章こそ大人のものだが、中身はまさに子供がリアルタイムで体験していることを“そのまま”記述している。大人が勝手に話を脚色したり、大人の価値観によって物事が論じられている様子が微塵もない。考えてみればこれは凄いことだ。しかも、大きな屈託もなくスクスクと育っていたせいか主人公の内面に暗さやヒネた部分が少なく、身の回りで起こったことを素直に受け入れているあたりは感服する。特に何気ない自然の風景や友人たちとの遊びの中に、大きなセンス・オブ・ワンダーを見出していく主人公の感性には驚かされる。
ただし、彼がこれだけ瑞々しいセンシビリティを持ち合わせていたのは、通り一遍の硬直した道徳論や“男子ならばこうあらねばならない”といった当時の風潮から距離を置いていたからだということは押さえておきたい。
人間誰しも長じてからの処世術や損得勘定によって、子供時代を都合良く“粉飾”してしまいがちだ。結果、自分達がかつて子供であったことも忘れて、お為ごかしの建前論に縋り付いてしまう。教育問題を深刻化させているものは、案外こういうところにあるのではないか。
擬音語や擬態語の扱い方には卓越したものがあり、また当時の社会風俗も興味深く取り上げられている。中勘助の他の小説は多くが入手困難になっているが、機会があればまた手にしたいものだ。
主人公が古い茶箪笥の引き出しから小さな銀の匙を見つけたことから、幼年期の伯母との愛情に包まれた日々を回想していく。注目すべきは、子供なりに感受性を育んでいくその過程が、まるで子供の目から見たような次元で語られていることだ。
文章こそ大人のものだが、中身はまさに子供がリアルタイムで体験していることを“そのまま”記述している。大人が勝手に話を脚色したり、大人の価値観によって物事が論じられている様子が微塵もない。考えてみればこれは凄いことだ。しかも、大きな屈託もなくスクスクと育っていたせいか主人公の内面に暗さやヒネた部分が少なく、身の回りで起こったことを素直に受け入れているあたりは感服する。特に何気ない自然の風景や友人たちとの遊びの中に、大きなセンス・オブ・ワンダーを見出していく主人公の感性には驚かされる。
ただし、彼がこれだけ瑞々しいセンシビリティを持ち合わせていたのは、通り一遍の硬直した道徳論や“男子ならばこうあらねばならない”といった当時の風潮から距離を置いていたからだということは押さえておきたい。
人間誰しも長じてからの処世術や損得勘定によって、子供時代を都合良く“粉飾”してしまいがちだ。結果、自分達がかつて子供であったことも忘れて、お為ごかしの建前論に縋り付いてしまう。教育問題を深刻化させているものは、案外こういうところにあるのではないか。
擬音語や擬態語の扱い方には卓越したものがあり、また当時の社会風俗も興味深く取り上げられている。中勘助の他の小説は多くが入手困難になっているが、機会があればまた手にしたいものだ。