(原題:Gemma Bovery)オヤジの屈折したスケベ心と、それよりも屈折した現実の出来事が鮮やかな対比を成す、良質の艶笑小噺だ。こういうのを作らせると、フランス映画は無頼の強さを発揮する。観てよかったと思える佳編だ。
フランス西部ノルマンディーの小さな村でパン屋を営むマルタンの趣味は読書。中でもギュスターヴ・フローベールの「ボヴァリー夫人」が大好きで、繰り返し読み続けている。ある日、彼の店の向かいにイギリス人の若い夫婦が越してきた。何と彼らの名前はチャーリーとジェマで、名字がボヴァリーだという。小説の登場人物と同じ名前だという偶然に驚いたマルタンは、夫人のジェマから目が離せなくなってしまう。
真実の愛にめぐり会えずに身を持ち崩して破滅する小説の中のボヴァリー夫人と同様、ジェマはチャーリーとの生活に満たされず、元カレや近所の若い二枚目野郎との間でよろめいてばかりいる。マルタンは小説と現実を重ねあわせて妄想をふくらませ、ついには思わぬ行動に出るのだった。絵本作家ポージー・シモンによるグラフィックノベルの映画化である。
どんなに逆立ちしたって小説の中のプロットが現実化するはずがないが、それを分かってはいながら下世話な期待にワクワクしてしまうマルタンの懲りないオヤジぶりが愉快だ。しかも、現実はフィクションと一致することは無いが、そんなに掛け離れてもいない。虚構との間で綱渡り的に人生を歩んでみるのも、一興ではないか。ましてや“事実は小説より奇なり”という諺もある通り、時として現実はフィクションを超えることもあるのだから尚更である。また、フランスとイギリスの国民性の違いを皮肉っているところも笑わせる。
脚本も手掛けたアンヌ・フォンテーヌの演出力は確かなものがあり、冒頭で事の次第を語った後に時制を遡るという手法が採用されているが、これを“結末を先に明かした”という構図に見せかけて、終盤で一捻りする手際の良さには感心する。ラストの扱いも絶品だ。
主演のファブリス・ルキーニは煮ても焼いても食えない性格のオッサンを好演しており、パン作りのシーンも実に達者にこなす。ジェマ役のジェマ・アータートンは“可愛くてスタイルが良くて巨乳(しかも、尻が軽い)”という、オヤジにとっては理想的な(大笑)ヒロイン像をうまく表現している。ジェイソン・フレミングやエルザ・ジルベルスタイン、ニール・シュナイダーなどの脇の面子も良い。そして、マルタンとジェマが飼っている犬が絶妙のコメディ・リリーフを担当している。