モノクロ映像にした理由が分からない。どう見ても本作の中に“白黒じゃないと描けない画面”が存在するとは思えないし、それどころか色彩を消したことによってロケ地の魅力がスポイルされているように思う。しかも、このモノクロ画像は全体的にのっぺりとして奥行きが無く、少しも美しくはないのだ。このあたりは作者のセンスを疑いたい。だが、そのことを除けば、これは哀愁とユーモアが漂う上質の人間ドラマだと断言したい。
主人公のタカシの職業は一応映画監督ということになっているが、5年前に作品を1本撮っただけで、その後はこれといった仕事をしていない。今はガンの治療を終えた兄の世話をするという名目で、妻子を東京に置いて群馬県の実家に兄と二人で暮らしているが、カミさんは甲斐性の無いタカシと別れたがっている。
地元には脚本作りを手伝ってくれる藤村という親友がいて、その藤村の誘いで出席した飲み会でタカシは涼子を紹介される。藤村は彼女にタカシを独身だと説明していたが、タカシは涼子を一目見るなり、彼女こそ中年になってもいまだ独り者の兄にピッタリの人だと確信する。しかし、困ったことに彼女はタカシの方に好意を持ってしまう。
年齢を重ね(他人より遅れて)ようやく“青春時代の終わり”に向かい合うことになった中年男たちのペーソスが、しみじみと伝わってくる。タカシは5年前に作った映画がそこそこ評判が良かったため、それから仕事に有り付けないにも関わらず、未だに演出家としてのプライドを捨てられない。兄は趣味の音楽を続けながら独身貴族を決め込むが、出会いも無いままいつの間にか病を得て老け込んでしまう。藤村はシナリオライター志望だったらしいが、気が付けば実家の安食堂を切り盛りするしかない身だ。
そんな冴えない男どもが、藤村に思いがけず交際相手を出来たのをきっかけに、徐々に人間関係を広げていく様子を無理なく描くあたりは説得力がある。監督は群馬県出身の大崎章で、彼にとっては9年ぶりの新作だ。前作「キャッチボール屋」は観ていないが、おそらくはこの9年間に一皮むけたスキルを身に付けたと思われるような達者な仕事運びである。
主演の渋川清彦と藤村を演じた岡田浩暉も群馬生まれで、彼らが方言で怒鳴り合う様子は虚飾を廃した“素”の個性が横溢しているようで面白い。何とかそれぞれの居場所を見つけ出したような登場人物たちが、改めて自分の人生を歩み始めることを暗示させる幕切れは気持ちが良い。
兄に扮する光石研、涼子役の河井青葉、タカシの妻を演じる渡辺真起子、いずれも好演だ。関係ないが、主人公の家の居間にあるセパレート型ステレオに接続されていたCDプレーヤーは、MARANTZが90年代前半に発売していたCD-72である。この頃の同社の製品はデザインが良かった(今は最低だけどね ^^;)。