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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「マッドマックス サンダードーム」

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 (原題:Mad Max Beyond Thunderdome)85年作品。今年(2015年)久々に新作が公開される往年のシリーズの第三作。カルト的な人気を誇り、各ジャンルで少なからぬエピゴーネンを輩出した第二作(81年)とは打って変わり、過激度は抑え目だ。そのため興行面で割を食ったそうだが、今から考えるとそれほど悪い作品ではないと思う。市場が求めるものと作者のメッセージ性とが齟齬を来たした一つの例であろう。

 核戦争で荒廃した近未来の地球。前作での死闘で心身ともにすり減らしたマックスは、沙漠の町・バータータウンにたどり着く。そこでは首長のエンティティが専制的権力を振るい、人々を支配していた。エンティティは親衛隊員たちによそ者のマックスを襲わせるが、マックスはこれを一蹴。独裁者に気に入られた彼は、地下の国を支配するマスター・プラスターと戦って倒すように命令される。

 ところが思わぬトラブルによって町から叩き出され、またしても荒野をさまよう羽目になるマックス。彼が偶然行き着いたのが、3歳から16歳までの子供だけが暮らす小さなコロニーだった。子供たちはマックスを救世主だと思い込み、しかも元から外界への憧れを持っていた何人かが勝手にコロニーを出てバータータウンに向かってしまう。彼らを救うために、マックスは再びエンティティと対峙する。

 このシリーズの目玉であったはずのカーアクションは控えめだ。マスター・プラスターとの肉弾戦や、ラスト近くのカタストロフこそ賑やかだが、別に“この映画じゃないと味わえない”というレベルのものではない。観客のウケが良くなかったのも分かるような気がする。だが、弱肉強食の社会を描くディストピアSFの方法論を、作者が“本気で”提示しようとしていることは、いい意味での気負いが感じられるのは事実だ。さらに言えば、ここで示されている構図は現在でも世界のあちこちに見受けられるものであり、決してピントはずれのモチーフではない。

 活劇場面ばかりが取り沙汰されるジョージ・ミラーの演出は、意外にも丁寧。主演のメル・ギブソンはこの頃は若く、近年のようなやさぐれた雰囲気は希薄だ(笑)。エンティティに扮するティナ・ターナーはまさに怪演。彼女がいなければ作品はもっと薄味になっていただろう。モーリス・ジャールの音楽も聴きごたえがある。

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