昭和32年松竹作品。小津安二郎監督のフィルモグラフィの中では異色作と呼ばれているもので、私は福岡市総合図書館の映像ホールにおける特集上映で今回初めて観ることが出来た。この頃小津作品はキネマ旬報ベストテンの常連であったが、この映画だけは19位と振るわなかった。実際に接してみると、なるほど当時の不評ぶりが分かるような内容である。
杉山周吉は長らく銀行に勤め、今では定年を過ぎて嘱託として職場に通っている。男手一つで二人の娘を育ててきたが、ある日長女の孝子が幼い娘を連れて実家に戻ってくる。夫との折り合いが悪くなったらしい。次女の明子は専門学校生だが、遊び人の川口らと付き合うようになり、挙げ句の果てに男友達の一人である木村の子を身籠ってしまう。一方、明子が出入りする雀荘の女主人・喜久子は何かと明子の世話を焼こうとする。ひょっとしたら喜久子は昔家を出て行った実の母親ではないかと思った明子はそのことを孝子に問いただすが、孝子は否定するばかりであった。
とにかく本作の雰囲気は暗い。夜のシーンが多いばかりではなく、登場人物いずれも表情は曇りがちで、明子にいたってはニコリともしない。筋書きの方も“真っ暗闇”で、出てくる者は自己中心的な面が目立ち、全員ロクな目に遭わない。
もちろん小津の作品において明るい話というのはあまり見当たらないのだが、本作は“暗さのための暗さ”のようなモチーフがてんこ盛りで、観ていて辛くなってくる。しかも、小津と共同脚本担当の野田高梧との仲が良くなかったせいか、作劇面でも不手際が目立つ。
随分前に男と出奔した母親が偶然同じ町に住んでおり、しかも明子の行きつけの店の主人であったという設定は御都合主義の極み。しかも、明子の叔母が“たまたま”デパートで彼女を見かけて周吉の知るところになるというのだから閉口する。木村は交際相手の妊娠を知って逃げ腰になるのだが、明子が彼を追いかけるくだりも無駄に長くて見せ場らしい見せ場も無い。さらに終盤の暗転も段取りが悪くて、何かの冗談ではないかと思ってしまった。全体的に演出のリズムが悪く、長い上映時間が殊更長く感じられる。
周吉役の笠智衆と孝子に扮する原節子は、他の小津作品におけるパフォーマンスに比べると生彩が無い。明子を演じる(若い頃の)有馬稲子は凄く可愛いが、愛嬌のある役柄ではないので魅力がスポイルされているように感じる。わずかに印象に残ったのが喜久子役の山田五十鈴で、これが彼女の唯一の小津作品への出演になるが、情感のこもった演技で感心した。