90年作品。市川準監督の代表作であり、この時期の日本映画を代表する逸品のひとつ。物語の語り手である大学生のまりあは、東京の映画館で母と一緒に「二十四の瞳」を観た後に。ふと“海の匂い”を感じる。その瞬間、カメラは大通りを突っきり、川を下り、東京湾に出て、まりあが生まれ育った西伊豆の海辺の街まで移動する。この魅力的なオープニングだけでこの映画は観る価値がある。
その街にはまりあと家族同様に暮らした陽子とつぐみの姉妹が今でも住んでいた。つぐみは小さいころから病弱で現在でも医者なしでは生きられない体だ。両親はじめ回りの者はそんなつぐみを特別扱いしたおかげで、彼女はまりあが言うところの“完全にひらきなおった”性格の少女に成長していた。ドラマはまりあがその街に最後の帰省をした夏の出来事を描いていく。
つぐみは、ある日街にやってきた青年を好きになる。ところがつぐみに思いを伝えられない不良少年が様々なひどい嫌がらせをする。愛犬まで殺されたつぐみは怒り、復讐を決意する。そんなことがあっても盆の灯篭流しの日がやってきて、まりあの父親が街に来て、また帰っていく。
このドラマには“少年”が登場しない。ヒネた不良少年は完全にドラマの添え物であって決して中心とはなり得ていない。つぐみが思いを寄せる青年は小さい頃からコンプレックスのかたまりで、今でもそれを引きずっているようだ。少年は挫折して大人になるらしい。では少女はどうやって大人になるのか。それは“少年”と出会うことによって成長していくのだ・・・・と何かの本に書いてあった。
現代では男の子は“少年”となる前に複雑な社会機構に対して気後れし、オタクなどと呼ばれて自分の殻に閉じ込もり、挫折することを知らずに体だけは大きくなっていくのだろうか。そうなると少女はいつまでたっても大人になれないまま年を重ねていくしかない。
しかし、つぐみのように自分の中に“少年”を持っている少女は別だ。彼女は男のような言葉使いで、最初の部分ではつけヒゲまでつけて登場する。平凡な女子大生に過ぎないまりあはつぐみの中に“少年”を見ていたのだろう。やがて彼女たちにも等身大の自分と向き合い、挫折する日が来る。しかし、そうなっても自分が大人の女とは思えないまま、年をとっていくのかもしれない。
このドラマはまりあの回想形式で展開する。彼女にとっての“リアル”はあの海辺の街で過ごした時間だけであり、現在の自分はどこか“非現実”であり、本当ではないことのように思っているのだろう。大人になれない女たちと男たちが過去を思い出すという、ノスタルジーとは一線を画した、苦くやりきれない気持ちを描き出し、切ない感動を呼ぶ。ここで描かれる清涼で暑くない夏、そしてアッという間に終わってしまう夏、そういう象徴としての夏がそう思わせる。
よしもとばななの小説を取り上げた市川準の演出は実に繊細なタッチで、登場人物の内面をセリフではなく映像で語らせる。つぐみ役の牧瀬里穂はこの映画が主演第2作目だったが、タダ者ではない凄味を見せる。まりあに扮した中嶋朋子や、陽子役の白島靖代、そして青年役の真田広之など、当時の若手俳優が存分に実力を発揮していた。川上皓市のカメラによる透き通るような映像や、板倉文の音楽、小川美潮が歌う主題歌なども実に効果的だ。
その街にはまりあと家族同様に暮らした陽子とつぐみの姉妹が今でも住んでいた。つぐみは小さいころから病弱で現在でも医者なしでは生きられない体だ。両親はじめ回りの者はそんなつぐみを特別扱いしたおかげで、彼女はまりあが言うところの“完全にひらきなおった”性格の少女に成長していた。ドラマはまりあがその街に最後の帰省をした夏の出来事を描いていく。
つぐみは、ある日街にやってきた青年を好きになる。ところがつぐみに思いを伝えられない不良少年が様々なひどい嫌がらせをする。愛犬まで殺されたつぐみは怒り、復讐を決意する。そんなことがあっても盆の灯篭流しの日がやってきて、まりあの父親が街に来て、また帰っていく。
このドラマには“少年”が登場しない。ヒネた不良少年は完全にドラマの添え物であって決して中心とはなり得ていない。つぐみが思いを寄せる青年は小さい頃からコンプレックスのかたまりで、今でもそれを引きずっているようだ。少年は挫折して大人になるらしい。では少女はどうやって大人になるのか。それは“少年”と出会うことによって成長していくのだ・・・・と何かの本に書いてあった。
現代では男の子は“少年”となる前に複雑な社会機構に対して気後れし、オタクなどと呼ばれて自分の殻に閉じ込もり、挫折することを知らずに体だけは大きくなっていくのだろうか。そうなると少女はいつまでたっても大人になれないまま年を重ねていくしかない。
しかし、つぐみのように自分の中に“少年”を持っている少女は別だ。彼女は男のような言葉使いで、最初の部分ではつけヒゲまでつけて登場する。平凡な女子大生に過ぎないまりあはつぐみの中に“少年”を見ていたのだろう。やがて彼女たちにも等身大の自分と向き合い、挫折する日が来る。しかし、そうなっても自分が大人の女とは思えないまま、年をとっていくのかもしれない。
このドラマはまりあの回想形式で展開する。彼女にとっての“リアル”はあの海辺の街で過ごした時間だけであり、現在の自分はどこか“非現実”であり、本当ではないことのように思っているのだろう。大人になれない女たちと男たちが過去を思い出すという、ノスタルジーとは一線を画した、苦くやりきれない気持ちを描き出し、切ない感動を呼ぶ。ここで描かれる清涼で暑くない夏、そしてアッという間に終わってしまう夏、そういう象徴としての夏がそう思わせる。
よしもとばななの小説を取り上げた市川準の演出は実に繊細なタッチで、登場人物の内面をセリフではなく映像で語らせる。つぐみ役の牧瀬里穂はこの映画が主演第2作目だったが、タダ者ではない凄味を見せる。まりあに扮した中嶋朋子や、陽子役の白島靖代、そして青年役の真田広之など、当時の若手俳優が存分に実力を発揮していた。川上皓市のカメラによる透き通るような映像や、板倉文の音楽、小川美潮が歌う主題歌なども実に効果的だ。