(原題:爸媽不在家)第66回カンヌ国際映画祭におけるカメラドール(新人監督賞)受賞作だが、正直それほどの映画だとは思えない。主要アワードを獲得した作品が、必ずしも良質であると限らないことを如実に示しており、出来としては“中の下”である。
舞台は97年のシンガポール。小学生のジャールーは共働きの両親とともに高層マンションに住む一人っ子であるが、言うことを聞かないワガママな問題児だ。ある日、フィリピン人のテレサが住み込みのメイドとしてやってくる。もちろん最初はテレサを邪魔者扱いするジャールーだったが、マジメに仕事をこなす彼女に、彼は次第に懐いていく。一方、ジャールーの父親はアジア通貨危機による不況でリストラに遭い、しかもそれを家族に言い出せない。母親の勤め先でも従業員の解雇が頻繁に起こり、殺伐とした雰囲気が漂い始める。
この映画は、各モチーフをいわば箇条書きで列挙しているだけだと感じる。ヒネた子供と、あまり教育熱心だとは思えないその両親と、慣れない環境に放り込まれた他国出身のメイド。一方では東南アジア全域にダメージを与えた通貨危機があり、それ以前にシンガポール国民を取り巻く特異な環境がある。作者はこれらの項目を有機的に結合させて映画的興趣を創出しなければならないはずだが、そのあたりが不十分。
ジャールーとテレサはいつの間にか“何となく”仲良くなるし、母親はその関係に複雑な思いを“何となく”抱き、父親は逆境を“何となく”やり過ごそうとする。要するに、登場人物達の内面と関係性にまったく肉迫しておらず、状況描写だけでお茶を濁しているのだ。こんな調子で終盤にお涙頂戴的なシーンを用意してもらっても、鼻白むばかりである。
とはいえ、これが長編デビューとなるアンソニー・チェンの演出には、大きな破綻は無い。複数の公用語が存在し、状況によって使い分けるシンガポールの国民性や、アジア通貨危機の深刻さを伝えていることは評価しても良いだろう。しかし、それがドラマの面白さにまるで繋がっていないことに不満を覚える。各キャラクターに魅力が備わっておらず、感情移入出来る登場人物がいないのも愉快になれない。特に、本国に子供を残しており何かと屈託の多いはずのテレサの描き方が淡白であるのは致命的だとも言える。
失職した夫が、妻にその事実を告げられずに悩むというネタならば黒沢清監督の「トウキョウソナタ」があり、異国で働くフィリピン人メイドの苦労を描くならばマリルー・ディアス=アバヤ監督の「マドンナ・アンド・チャイルド」があるが、この映画はそれらに遠く及ばない。それほど積極的には奨めたくはない作品だ。