(原題:12 Years a Slave)現時点で今年(2014年)の米アカデミー作品賞候補作を全部観たわけではないが、おそらくノミネート作の中では一番質の低い映画だろう。結果的にその“低クォリティの映画”が大賞を獲得してしまったのだから、何とも釈然としない気分だ。
1841年、ニューヨーク州で自由黒人として暮らすソロモン・ノーサップは、ヴァイオリン奏者として妻子と共に平穏な暮らしを営んでいた。ある日、二人の白人が彼に仕事を頼みにやって来る。彼らの依頼に応じて現場に出向いてみると、仕事の前の酒席が設けられていた。しこたま酔って目を覚ましたときには、個室に閉じ込められ、しかも彼の手足には鎖が付けられている。ソロモンは拉致されて奴隷として南部に売られてしまったのだ。それから12年の長きに渡る、南部の農園での苦しい生活が始まる。ノーサップ自身による手記の映画化だ。
まず腑に落ちないのが、原題にもあるような12年という年月の流れがまったく感じられないことだ。パッとみれば2,3年、長くてもせいぜい4,5年の時間経過しか見て取れない。それどころか主人公の肉体的・精神的疲弊もほとんど描かれておらず、これでは“12年”というのは単なる御題目にしかならないのだ。この監督(スティーヴ・マックイーン)の力量が不足しているとしか言いようがない。
この手記が現存しているということは、当然のことながら主人公が無事に生還したことを示し、それは観る前から分かっている。ならばそのプロセスをいかに映画として盛り上げていくかが作劇の主眼になるはずだが、そのあたりがスッポリと抜け落ちている。いくら実話とはいえ、特定個人の偶発的な善意の発露によって“何となく”事態が好転してしまうのは、何とも安易な展開だ。
たとえば、何度も逃げようとしてそのたびに失敗した経緯を織り込めば、終盤にいくらかのカタルシスが得られたはずだが、呆れたことにそれも無し。また、プロデューサーも兼ねたブラッド・ピット演じるカナダ人が、終盤近くでもっともらしい講釈を垂れるのもワザとらしい。
主演のキウェテル・イジョフォーは熱演だが、冴えない演出のせいもあり、頑張りが表面的にしか見えてこない。アカデミー助演女優賞を取ったルピタ・ニョンゴの演技も全然大したことは無く、わずかに印象に残ったのはプランテーションの残酷な支配人に扮するマイケル・ファスベンダーの怪演ぐらいだ。
奴隷制度の残酷さを描いた映画ならばリチャード・フライシャー監督の「マンディンゴ」に大きく差を付けられ、感動系ならばTVシリーズの「ルーツ」には完全に負ける。それどころスピルバーグの「カラー・パープル」や「アミスタッド」の方がまだ見応えがあった。何とも中途半端で煮え切らない映画だが、オスカーを得られた理由は外野には窺い知れないものがあるのだろう(まあ、いつものことだが)。