(原題:Presa Y Chocolate)93年作品。珍しいキューバの映画だ。国家元首だったカストロは映画マニアであり、大規模な映画の専門学校も設立しているし、首都ハバナは新ラテン・アメリカ映画祭の開催地でもある。こういった映画に対するバックアップがあるので、社会主義国の作品といってもガチガチの国威掲揚映画の連発はなく、多彩な題材を扱っているはず・・・・と思う(よく知らないけど ^^;)。この映画の素材はなんとゲイ。こんなテーマを堂々と扱えるということは、けっこう自由に映画人に撮らせているのではないだろうか。
共産党員でもある大学生のダビドは恋人もいるが、イマイチ煮えきらない。優柔不断な態度を見せているうちに、彼女は他の男に取られてしまう。傷心のダビドが出会ったのが、インテリで人当たりもいい同性愛者のディエゴ。
当初は“ナンパ”しようという下心見え見えのディエゴの態度に嫌悪感を覚えるが、紳士的で頭のいい彼に自分にないものを感じたダビドは、次第に彼とその仲間たちと打ち解けてくる。しかし、先鋭的な美術展を主催しようとしているディエゴを危険分子と見なす当局側は、ダビドに彼をスパイするように強要するのだが・・・・。
公開当時に某雑誌で淀川長治が言ってたように、この映画は突っ込みが甘い。同性愛者の屈託、残酷さ、切実さが不足している。ダビドを裏切る恋人、ディエゴの友人で自殺願望があるナンシー、女の描き方も通りいっぺんだ。赤裸々なホモ場面もなく、そのテのマニア(どういうマニアだそれは)にも不満だろう。
でも、けっこう私は好きな映画なのだ。それは、まっとうな青春映画のルーティンを誠実に守っているためである。主人公の二人はホモとノーマルだが、今回たまたまそうであっただけで、これは立場や主義信条のまるで違う世界にいる二人が、何とか理解し合い、真の友情が芽生えるという、明朗な青春ドラマのパターンと同じだ。リアリストからは反発くらう内容ではあっても、これはこれで面白いと思う。主演の二人は、ラテン系だから顔が濃いのは仕方がないけど、なかなか爽やかな好演で、特にディアゴを演じるホルヘ・ペルゴリアの存在感が光る。
ラテン世界では苺は女らしさを象徴する食べ物、対してチョコレートは男らしさを表し、男が唯一人前で食べていいお菓子だという。監督は地元の映画界では名の知れたベテラン、トマス・グティエレス・アレア。各地の映画祭で好評を博した作品である。
共産党員でもある大学生のダビドは恋人もいるが、イマイチ煮えきらない。優柔不断な態度を見せているうちに、彼女は他の男に取られてしまう。傷心のダビドが出会ったのが、インテリで人当たりもいい同性愛者のディエゴ。
当初は“ナンパ”しようという下心見え見えのディエゴの態度に嫌悪感を覚えるが、紳士的で頭のいい彼に自分にないものを感じたダビドは、次第に彼とその仲間たちと打ち解けてくる。しかし、先鋭的な美術展を主催しようとしているディエゴを危険分子と見なす当局側は、ダビドに彼をスパイするように強要するのだが・・・・。
公開当時に某雑誌で淀川長治が言ってたように、この映画は突っ込みが甘い。同性愛者の屈託、残酷さ、切実さが不足している。ダビドを裏切る恋人、ディエゴの友人で自殺願望があるナンシー、女の描き方も通りいっぺんだ。赤裸々なホモ場面もなく、そのテのマニア(どういうマニアだそれは)にも不満だろう。
でも、けっこう私は好きな映画なのだ。それは、まっとうな青春映画のルーティンを誠実に守っているためである。主人公の二人はホモとノーマルだが、今回たまたまそうであっただけで、これは立場や主義信条のまるで違う世界にいる二人が、何とか理解し合い、真の友情が芽生えるという、明朗な青春ドラマのパターンと同じだ。リアリストからは反発くらう内容ではあっても、これはこれで面白いと思う。主演の二人は、ラテン系だから顔が濃いのは仕方がないけど、なかなか爽やかな好演で、特にディアゴを演じるホルヘ・ペルゴリアの存在感が光る。
ラテン世界では苺は女らしさを象徴する食べ物、対してチョコレートは男らしさを表し、男が唯一人前で食べていいお菓子だという。監督は地元の映画界では名の知れたベテラン、トマス・グティエレス・アレア。各地の映画祭で好評を博した作品である。