楽しめた。早くも“第二の「カメラを止めるな!」”という声もあるようだが、確かに卓越した着想と映画のバックステージものを絡めた建て付けは「カメラを止めるな!」(2017年)と共通している。また、当初は小規模での封切りが口コミによって拡大公開になったプロセスも似たようなものだ。そして何より、作者の映画に対する愛情が存分に感じられる点は同じであり、こういうシャシンが広範囲な支持を集めるのだろう。
幕末の京都。長州藩士を討つよう密命を受けた会津藩士の高坂新左衛門は、ターゲットになる男と相まみえた際に落雷によって気を失ってしまう。彼が我に返ると、そこは現代の時代劇の京都撮影所だった。ロケに飛び入りして刀を抜いてしまった彼は、監督らスタッフに追い出される。やがて新左衛門は、江戸幕府が140年前に滅んだことを知る。
生きる目的を失いそうになった彼だったが、助監督の山本優子らに助けられ、この時代で暮らしていくことを決心。そして剣の腕を活かし彼は“斬られ役”として採用される。そんなある日、往年の時代劇スターの風見恭一郎から新左衛門は映画の相手役に指名される。
タイムスリップ物としての興趣は(ある一点を除けば)大したことは無い。主人公が遭遇する時代のギャップを強調するモチーフは希薄だし、そもそも実体験で命のやり取りを経験した新左衛門が、撮影用の殺陣を“芝居だ”と見破れないはずが無い。だが、そんな瑕疵があっても本作には堪えられない魅力があるのだ。それはズバリ言って、作者の時代劇に対する熱い思いである。
劇中で描かれるテレビの連続時代劇は、打ち切りが取り沙汰されている。かつてはゴールデンタイムの定番であった時代劇は、今は風前の灯火だ。スクリーン上でも時代劇が展開するケースは少なくなっている。それでも、日本でしか撮れないこのジャンルを何とか維持していかなければ、我が国のエンタテインメント自体が地盤沈下してしまう。
本作の登場人物たちは、時代劇の魅力に取り憑かれて損得抜きで付き合っている。過去から来た新左衛門も、この“空気感”があったからこそスンナリと現代に溶け込める。さらに風見恭一郎の“正体”が明らかになる後半のくだりは、まさにアイデアの勝利。タイムトラベルを時代劇に結び付けるメソッドとしては最良のものだろう。
脚本はもちろん撮影や編集まで担当した安田淳一の演出は闊達でメリハリがある。随所に挿入される効果的なギャグと、絶妙な“泣かせ”の段取りには感心するばかり。キャストは主演の山口馬木也こそ少しは知られてはいるが、冨家ノリマサに峰蘭太郎、庄野﨑謙など無名の者ばかり。しかし皆良くやっている。特に優子役の沙倉ゆうのは本当にこの映画の“助監督”であり、作品内で有効に機能している。とにかく、一人でも多くの人に観てもらいたい快作だ。
幕末の京都。長州藩士を討つよう密命を受けた会津藩士の高坂新左衛門は、ターゲットになる男と相まみえた際に落雷によって気を失ってしまう。彼が我に返ると、そこは現代の時代劇の京都撮影所だった。ロケに飛び入りして刀を抜いてしまった彼は、監督らスタッフに追い出される。やがて新左衛門は、江戸幕府が140年前に滅んだことを知る。
生きる目的を失いそうになった彼だったが、助監督の山本優子らに助けられ、この時代で暮らしていくことを決心。そして剣の腕を活かし彼は“斬られ役”として採用される。そんなある日、往年の時代劇スターの風見恭一郎から新左衛門は映画の相手役に指名される。
タイムスリップ物としての興趣は(ある一点を除けば)大したことは無い。主人公が遭遇する時代のギャップを強調するモチーフは希薄だし、そもそも実体験で命のやり取りを経験した新左衛門が、撮影用の殺陣を“芝居だ”と見破れないはずが無い。だが、そんな瑕疵があっても本作には堪えられない魅力があるのだ。それはズバリ言って、作者の時代劇に対する熱い思いである。
劇中で描かれるテレビの連続時代劇は、打ち切りが取り沙汰されている。かつてはゴールデンタイムの定番であった時代劇は、今は風前の灯火だ。スクリーン上でも時代劇が展開するケースは少なくなっている。それでも、日本でしか撮れないこのジャンルを何とか維持していかなければ、我が国のエンタテインメント自体が地盤沈下してしまう。
本作の登場人物たちは、時代劇の魅力に取り憑かれて損得抜きで付き合っている。過去から来た新左衛門も、この“空気感”があったからこそスンナリと現代に溶け込める。さらに風見恭一郎の“正体”が明らかになる後半のくだりは、まさにアイデアの勝利。タイムトラベルを時代劇に結び付けるメソッドとしては最良のものだろう。
脚本はもちろん撮影や編集まで担当した安田淳一の演出は闊達でメリハリがある。随所に挿入される効果的なギャグと、絶妙な“泣かせ”の段取りには感心するばかり。キャストは主演の山口馬木也こそ少しは知られてはいるが、冨家ノリマサに峰蘭太郎、庄野﨑謙など無名の者ばかり。しかし皆良くやっている。特に優子役の沙倉ゆうのは本当にこの映画の“助監督”であり、作品内で有効に機能している。とにかく、一人でも多くの人に観てもらいたい快作だ。