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渡邊二郎「歴史の哲学 現代の思想的状況」

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 著者の渡邊は生前は東大文学部の名誉教授の座にも就いた哲学の研究者なので、本書で歴史研究に関する自前の哲学論を披露しているのかと思ったら、近現代の主要な歴史哲学の紹介本としての側面が強かったのには少々拍子抜けした。しかしながら、歴史哲学論の概観をコンパクトにまとめているという意味では存在価値はあると言える。

 ただ、日頃哲学の文献とは縁遠い身としては、かなり読みにくかったのも事実。特にカギ括弧の多用による独特の言い回しは、接しているうちに面倒臭くなってくる。ハッキリ言って、内容をすべて理解したかと聞かれると、曖昧な返事をせざるを得ない(笑)。



 では読む価値は全然無かったのかというと、決してそうではない。そもそもこの本のタイトルは「歴史の哲学」なのであり、個々の歴史的事実を紹介・検証していくような、よくある“歴史本”の類ではないのだ。歴史そのものをどのように見るか、歴史を学ぶスタンスはいかにあるべきか、そういった“史観”の立脚点に関して哲学的なアプローチを展開している。

 マルクスやマックス・ウェーバー、ディルタイ、ヤスパース、ニーチェ等々、それぞれの主張を引用しながら強調していることは、単に歴史的資料を集めるだけの“雑学”じみたことには意味が無く、また特定の史観のみに則って歴史を検証するのもナンセンスだということだろう。ましてや、いたずらに“客観性”を振りかざして、結局は無自覚的に単一の史観に収斂されてしまうのは愚の骨頂なのだ。

 歴史の“客観性”というものがもしあるとすれば、それは史実(とされる出来事)とその(確固としたアイデンティティを持つ現在の各個人としての)解釈との間に存在すると言える。

 それにしても、歴史を学ぶ者は自らの思想的傾向を“棚卸し”することは大事だと思う。たぶん筆者の渡邊からすれば、相変わらずマスコミや論壇にはびこる左傾の進歩史観や、はたまた頑迷な皇国史観なんぞは、“歴史”の名に値しないと一蹴することであろう(爆)。

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