(原題:VOLEUSES)2023年11月よりNetflixより配信されたフランス製の活劇編。最初の10数分間はかなり良かった。主人公たちが殺傷能力のあるドローン群から逃れるため、バギーを駆って山道を猛スピードで走り抜けるシークエンスは、まるで「007」シリーズの導入部のような高揚感が横溢している。さらに、終盤にはウイングスーツで山の頂上から滑空して退場。否が応でも本編への期待が高まるが、あいにく本作で面白かったのはこのプロローグ部分だけなのだ。
凄腕の女泥棒であるキャロルとアレックスはこれまでかなりの“実績”を残してきたが、いい加減逃亡生活に疲れてきた。そこで引退を考えるのだが、元締めの“ゴッドマザー”から最後の仕事として高価な絵画の強奪を命じられる。新たに女流バイクレーサーのサムを仲間に加えて仕事に挑むのだが、予期せぬトラブルが頻発して上手くいかない。ついには彼女らは絶体絶命のピンチに陥る。
本作はラストに主要キャストとスタッフが表示されるのだが、何と監督がキャロルに扮するメラニー・ロランであったことに驚いた。彼女が演出家としての仕事をしていたことは知らなかったし、調べてみるとこの映画の前にも何本か手掛けていて、決してズブの素人ではないようだ。しかし、本作に限って言えばとても及第点に達するような内容ではない。
確かに活劇場面は達者。しかしそれ以外が弱体気味である。つまりはストーリーテリングに難があるのだ。しかもロランは脚本にも参画しており、語り口の拙さがより一層強調される結果になってしまった。そもそも、キャロルたちを雇っている“ゴッドマザー”の正体が掴めないし、いくらミッションに運転手が必要だといっても、荒仕事の経験が無いに等しいサムを雇う必然性は小さい。
主人公2人は泥棒稼業に専念しているのかと思ったら、けっこう情け容赦ない狼藉ぶりを見せて感情移入がしにくい(これでよく今まで警察に捕まらなかったものだ)。挙げ句の果てにラストの処理は説明もなく唐突で、観た後呆気に取られるばかり。
アデル・エグザルコプロスにマノン・ブレシュ、フェリックス・モアティ、フィリップ・カトリーヌといった顔ぶれもパッとせず、参ったのは“ゴッドマザー”をイザベル・アジャーニが演じていること。仏映画界の大御所であるはずの彼女が、よくこんなどうでも良い役を引き受けたものだ。既成曲中心の音楽もワザとらしくてシラける。ただし、風光明媚なスポット主体にロケされた映像は美しく、観光気分は存分に味わえる。
凄腕の女泥棒であるキャロルとアレックスはこれまでかなりの“実績”を残してきたが、いい加減逃亡生活に疲れてきた。そこで引退を考えるのだが、元締めの“ゴッドマザー”から最後の仕事として高価な絵画の強奪を命じられる。新たに女流バイクレーサーのサムを仲間に加えて仕事に挑むのだが、予期せぬトラブルが頻発して上手くいかない。ついには彼女らは絶体絶命のピンチに陥る。
本作はラストに主要キャストとスタッフが表示されるのだが、何と監督がキャロルに扮するメラニー・ロランであったことに驚いた。彼女が演出家としての仕事をしていたことは知らなかったし、調べてみるとこの映画の前にも何本か手掛けていて、決してズブの素人ではないようだ。しかし、本作に限って言えばとても及第点に達するような内容ではない。
確かに活劇場面は達者。しかしそれ以外が弱体気味である。つまりはストーリーテリングに難があるのだ。しかもロランは脚本にも参画しており、語り口の拙さがより一層強調される結果になってしまった。そもそも、キャロルたちを雇っている“ゴッドマザー”の正体が掴めないし、いくらミッションに運転手が必要だといっても、荒仕事の経験が無いに等しいサムを雇う必然性は小さい。
主人公2人は泥棒稼業に専念しているのかと思ったら、けっこう情け容赦ない狼藉ぶりを見せて感情移入がしにくい(これでよく今まで警察に捕まらなかったものだ)。挙げ句の果てにラストの処理は説明もなく唐突で、観た後呆気に取られるばかり。
アデル・エグザルコプロスにマノン・ブレシュ、フェリックス・モアティ、フィリップ・カトリーヌといった顔ぶれもパッとせず、参ったのは“ゴッドマザー”をイザベル・アジャーニが演じていること。仏映画界の大御所であるはずの彼女が、よくこんなどうでも良い役を引き受けたものだ。既成曲中心の音楽もワザとらしくてシラける。ただし、風光明媚なスポット主体にロケされた映像は美しく、観光気分は存分に味わえる。