まず、映画自体がタイトルにある春画の世界と明確に結び付いていないことに愕然とした。いったい何のために製作したのだろうか。だいたい、本作は商業映画としては邦画史上初めて無修正の浮世絵春画が映されることで話題になっているが、思いのほかそのシーンは少ない。あからさまにスクリーン上で紹介されることに対して“どこかの筋”から横槍が入ったのか、あるいは作者自身が遠慮したのかどうか知らないが、主要モチーフに対してこんな及び腰な態度では、面白い映画に仕上がるわけがない。
レトロなカフェの従業員である春日弓子は、ある日ちょっと変わった美術研究家の芳賀一郎と知り合う。彼の専攻は江戸文化の裏の華である春画で、周囲からは“春画先生”と呼ばれていた。春画に興味を持った弓子は、彼の住居に足繁く通い勉強するようになる。芳賀は妻に先立たれて以来、世捨て人のような生活を送っているのだが、春画の文献執筆を急がせる編集者の辻村や、亡き妻の姉である一葉など、多彩な人間と関わらなければならない立場でもあり、気の休まる暇も無い。弓子も巻き込まれ、先の見えない日々が始まる。
冒頭、弓子と芳賀の出会いからしてウソ臭い。突如として起こった地震に慌てた彼女が、どうして春画を目にして引き込まれたのか、明確な説明は無い。それでも、春画の魅力を豊かなイメージで表現してくれればそれほど文句は出ないのだが、困ったことに本作には春画の“学術的”っぽい説明はあるものの、見る者を虜にするような仕掛けは見当たらない。
さらに、中盤以降は春画のことなど映画の“背景”の一つでしかなくなり、弓子と辻村が何となく懇ろになったり、芳賀と一葉との因縁話など、物語自体が脱線していく。もちろん、それらが面白ければ文句は無いのだが、ただ下世話なだけで映画的興趣には結び付いていない。果たして作り手は本当に春画に興味を持っていたのか、怪しくなるほどだ。少なくとも、新藤兼人監督の「北斎漫画」(81年)の後塵を拝していることは確かだろう。
塩田明彦は作品の出来不出来の差が大きい監督ではあるが、今回は低調な部類に属する。主演の内野聖陽は今回は精彩が無く、弓子に扮する北香那も魅力不足。柄本佑に白川和子、安達祐実といった脇の面子もパッとしない。題材が面白そうだっただけに、この程度の出来に終わったのは実に残念である。
レトロなカフェの従業員である春日弓子は、ある日ちょっと変わった美術研究家の芳賀一郎と知り合う。彼の専攻は江戸文化の裏の華である春画で、周囲からは“春画先生”と呼ばれていた。春画に興味を持った弓子は、彼の住居に足繁く通い勉強するようになる。芳賀は妻に先立たれて以来、世捨て人のような生活を送っているのだが、春画の文献執筆を急がせる編集者の辻村や、亡き妻の姉である一葉など、多彩な人間と関わらなければならない立場でもあり、気の休まる暇も無い。弓子も巻き込まれ、先の見えない日々が始まる。
冒頭、弓子と芳賀の出会いからしてウソ臭い。突如として起こった地震に慌てた彼女が、どうして春画を目にして引き込まれたのか、明確な説明は無い。それでも、春画の魅力を豊かなイメージで表現してくれればそれほど文句は出ないのだが、困ったことに本作には春画の“学術的”っぽい説明はあるものの、見る者を虜にするような仕掛けは見当たらない。
さらに、中盤以降は春画のことなど映画の“背景”の一つでしかなくなり、弓子と辻村が何となく懇ろになったり、芳賀と一葉との因縁話など、物語自体が脱線していく。もちろん、それらが面白ければ文句は無いのだが、ただ下世話なだけで映画的興趣には結び付いていない。果たして作り手は本当に春画に興味を持っていたのか、怪しくなるほどだ。少なくとも、新藤兼人監督の「北斎漫画」(81年)の後塵を拝していることは確かだろう。
塩田明彦は作品の出来不出来の差が大きい監督ではあるが、今回は低調な部類に属する。主演の内野聖陽は今回は精彩が無く、弓子に扮する北香那も魅力不足。柄本佑に白川和子、安達祐実といった脇の面子もパッとしない。題材が面白そうだっただけに、この程度の出来に終わったのは実に残念である。