沢木耕太郎による原作小説は読んでいないが、文庫本ならば上下巻にわたる長編だ。それを2時間あまりの尺に収めようという意図自体、無理ではなかったか。事実、この映画化作品は長い物語を力尽くで圧縮したような、ストーリーの整合性の欠如とキャラクターの掘り下げの浅さが目立つ。また、それをカバーするためか言い訳的なセリフを多用するのも愉快になれない。キャストは割と頑張っているのに、もったいない話である。
40年前に不公平な判定負けを喫し、それを機に渡米した元ボクサーの広岡仁一が久々に帰国。彼は居酒屋で思うようなファイトが出来ず悩んでいる若いボクサーの黒木翔吾と出会い、ぜひ手ほどきを受けたいと懇願される。最初は断った仁一だが、かつてのボクシング仲間である藤原と佐瀬に奨められて引き受けることにする。激しいトレーニングが徐々に功を奏して翔吾の成績は上がり、やがて世界タイトルに挑戦する機会を得る。
まず気になるのが、アメリカでビジネスマンとしてある程度の成功を収めた仁一がどうしてすべてを手放して帰ってきたのか、まるで分からないこと。さらには心臓に疾患がある彼が、無理して翔吾のコーチ役を買って出た理由も不明。格闘家としての矜持がどうのとセリフで語られるようだが、説明になっていない。
翔吾にしても、なぜ長い間リングを離れていたオッサンにわざわざ弟子入りを志願するのか、理由が分からない。藤原と佐瀬のスタンスもいまいちハッキリしないし、翔吾といい仲になる佳菜子の扱いも杜撰だ。原作ではこれらのモチーフは十分カバーされていたのかもしれないが、映画では手抜きとしか映らない。
それでも役作りのためにライセンスまで取得した翔吾役の横浜流星をはじめ、ボクサーに扮する面子は健闘している。試合のシーンは迫力満点だ。しかし、肝心なところでスローモーションなどのレトロすぎる手法が横溢しているのはマイナスだ。瀬々敬久の演出は可もなく不可もない展開に終始。不出来な脚色に足を引っ張られている感がある。特にラストの処理は失笑ものだ。
仁一に扮する佐藤浩市や片岡鶴太郎、哀川翔、窪田正孝、山口智子、坂井真紀、小澤征悦といった悪くないメンバーを集めているにも関わらず、ドラマとしての盛り上がりに欠ける。なお、佳菜子を演じているのは橋本環奈だが、私は彼女をスクリーン上で見るのは初めてだ。出演作は多いが能動的な映画ファンが鑑賞するようなシャシンには縁のない彼女らしく、凡庸なパフォーマンスである。今後“大化け”する可能性があるのかどうかは、現時点では予測不能だ。
40年前に不公平な判定負けを喫し、それを機に渡米した元ボクサーの広岡仁一が久々に帰国。彼は居酒屋で思うようなファイトが出来ず悩んでいる若いボクサーの黒木翔吾と出会い、ぜひ手ほどきを受けたいと懇願される。最初は断った仁一だが、かつてのボクシング仲間である藤原と佐瀬に奨められて引き受けることにする。激しいトレーニングが徐々に功を奏して翔吾の成績は上がり、やがて世界タイトルに挑戦する機会を得る。
まず気になるのが、アメリカでビジネスマンとしてある程度の成功を収めた仁一がどうしてすべてを手放して帰ってきたのか、まるで分からないこと。さらには心臓に疾患がある彼が、無理して翔吾のコーチ役を買って出た理由も不明。格闘家としての矜持がどうのとセリフで語られるようだが、説明になっていない。
翔吾にしても、なぜ長い間リングを離れていたオッサンにわざわざ弟子入りを志願するのか、理由が分からない。藤原と佐瀬のスタンスもいまいちハッキリしないし、翔吾といい仲になる佳菜子の扱いも杜撰だ。原作ではこれらのモチーフは十分カバーされていたのかもしれないが、映画では手抜きとしか映らない。
それでも役作りのためにライセンスまで取得した翔吾役の横浜流星をはじめ、ボクサーに扮する面子は健闘している。試合のシーンは迫力満点だ。しかし、肝心なところでスローモーションなどのレトロすぎる手法が横溢しているのはマイナスだ。瀬々敬久の演出は可もなく不可もない展開に終始。不出来な脚色に足を引っ張られている感がある。特にラストの処理は失笑ものだ。
仁一に扮する佐藤浩市や片岡鶴太郎、哀川翔、窪田正孝、山口智子、坂井真紀、小澤征悦といった悪くないメンバーを集めているにも関わらず、ドラマとしての盛り上がりに欠ける。なお、佳菜子を演じているのは橋本環奈だが、私は彼女をスクリーン上で見るのは初めてだ。出演作は多いが能動的な映画ファンが鑑賞するようなシャシンには縁のない彼女らしく、凡庸なパフォーマンスである。今後“大化け”する可能性があるのかどうかは、現時点では予測不能だ。