(原題:LES PASSAGERS DE LA NUIT)雰囲気や肌触りは良く、キャストも好演なのだが、いまひとつ物足りない。これはキャラクターの練り上げが足りないこと、そしてストーリーに力強さが無いことに尽きる。有り体に言えば、どうしてこの映画を作る必要があったのか分からない。テレビの連続ドラマならば大して問題は無いだろうが、スクリーンで対峙するには少々辛いものがある。
ミッテラン新大統領の誕生に沸き立つ1981年のフランス。パリに住むエリザベートは離婚して子供たちを一人で育てるハメになった。それまでロクに勤労経験も無かった彼女にとって仕事探しは楽ではなかったが、何とか深夜放送のラジオ番組の職にありつくことが出来た。ある晩エリザベートは家出少女のタルラと出会い、泊まる場所も無い彼女を自宅へ招き入れる。
いくら80年代とはいえ、ヒロインが子供が十代後半になるまで専業主婦以外の生き方に目が行かなかったというのは、ちょっと考えにくい。しかも演じているのが奔放さ(?)が売り物のシャルロット・ゲンズブールというのだから、ますます無理がある。そしてエリザベートが深夜ラジオの仕事を選んだのは不眠症気味だからといった理由付けも、何だか釈然としない。ラジオに対する強い思い入れが無ければ普通思い付かないはずだが、映画は軽くスルーしている。
タルラの存在は一家に波風は立たせるが、それほど大きな変化や事件が起きるわけでもない。彼女が高校生の長男と仲良くなるのも、まあ想定の範囲内だ。エリザベートはラジオの仕事と並行して図書館のバイトもやっているのだが、そこで新しい交際相手と出会う。そのあたりの顛末も少しもドラマティックではなく、何となく懇ろになるという筋書きは薄味に過ぎる。ミカエル・アースの演出は平板だ。とはいえ、80年代の空気感は良く出ていた。ラジオが有力メディアの一つであった頃の、リスナーの態度・言動等には懐かしさも感じる。
ゲンズブールは普段やらないような役柄ながらシッカリと演じていたし、キト・レイヨン=リシュテルにノエ・アビタ、メーガン・ノーサムといった脇の面子も良い仕事をしている。そしてエマニュエル・ベアールが貫禄たっぷりに(笑)出てきたのには驚いた。セバスティアン・ビュシュマンのカメラによるパリの情景は心惹かれる。アントン・サンコーの音楽、そして当時のポップスの扱いも良い。
ミッテラン新大統領の誕生に沸き立つ1981年のフランス。パリに住むエリザベートは離婚して子供たちを一人で育てるハメになった。それまでロクに勤労経験も無かった彼女にとって仕事探しは楽ではなかったが、何とか深夜放送のラジオ番組の職にありつくことが出来た。ある晩エリザベートは家出少女のタルラと出会い、泊まる場所も無い彼女を自宅へ招き入れる。
いくら80年代とはいえ、ヒロインが子供が十代後半になるまで専業主婦以外の生き方に目が行かなかったというのは、ちょっと考えにくい。しかも演じているのが奔放さ(?)が売り物のシャルロット・ゲンズブールというのだから、ますます無理がある。そしてエリザベートが深夜ラジオの仕事を選んだのは不眠症気味だからといった理由付けも、何だか釈然としない。ラジオに対する強い思い入れが無ければ普通思い付かないはずだが、映画は軽くスルーしている。
タルラの存在は一家に波風は立たせるが、それほど大きな変化や事件が起きるわけでもない。彼女が高校生の長男と仲良くなるのも、まあ想定の範囲内だ。エリザベートはラジオの仕事と並行して図書館のバイトもやっているのだが、そこで新しい交際相手と出会う。そのあたりの顛末も少しもドラマティックではなく、何となく懇ろになるという筋書きは薄味に過ぎる。ミカエル・アースの演出は平板だ。とはいえ、80年代の空気感は良く出ていた。ラジオが有力メディアの一つであった頃の、リスナーの態度・言動等には懐かしさも感じる。
ゲンズブールは普段やらないような役柄ながらシッカリと演じていたし、キト・レイヨン=リシュテルにノエ・アビタ、メーガン・ノーサムといった脇の面子も良い仕事をしている。そしてエマニュエル・ベアールが貫禄たっぷりに(笑)出てきたのには驚いた。セバスティアン・ビュシュマンのカメラによるパリの情景は心惹かれる。アントン・サンコーの音楽、そして当時のポップスの扱いも良い。