(原題:EMPIRE OF LIGHT )気のせいか、最近“映画自体を題材にした映画”の公開が目立っているようだ。しかしながら、そのいずれも成功していない。そもそも、映画人にとって最も身近なネタである“映画そのもの”は取っ付きやすいのはもちろん、この業界に携わる者ならば誰でも映画に対しての見解を持っている。しかし送り手の思い入れだけでは、よっぽど巧妙に作らない限り観客には届かない。ならば本作はどうかといえば、映画はあくまで筋書きの小道具として扱われ、その割り切り方は評価に値するだろう。
80年代初頭のイギリス、海辺の町マーゲイトにある映画館エンパイア劇場の女子従業員ヒラリーは、スタッフとしてはベテランながらメンタル面で問題を抱え、おまけに支配人のドナルドからはセクハラを受けていた。その映画館に新たに採用された黒人青年スティーヴンはヒラリーを先輩として慕うが、やがて男女の仲になっていく。
面白いのは、映写技師のノーマンを除いて登場人物の誰もが映画に対してそれほどの興味を抱いていないことだ。ヒラリーは映画よりも文学が好きで、スティーヴンは大学進学までの“繋ぎの仕事”として映画館勤めを選んだに過ぎない。だが、このエンパイア劇場の佇まいには心惹かれるものがある。
この映画館は昔は地元の社交場としての位置付けで、週末には紳士淑女が着飾って集ったと思われるほど門構えは立派だ。海岸の風景とも良くマッチしている。しかし、全盛期には4つのスクリーンが稼働していたものの、すでに上階の2館は廃墟になっている。映画が娯楽の王様であった時代はとうに過ぎ、劇場のスタッフも映画を店先に並べる単なる“商品”としてしか見ていない。
それでも、終盤にはヒロインの心を慰めるものはやはり映画であったという、気の利いた展開になっている。しかも、彼女が観る映画はハル・アシュビー監督の「チャンス」(79年)だ。孤高の主人公が周囲を巻き込んでいくというこの作品(私も大好きだ)が、ヒラリーの立ち位置そして願望を反映していて感慨深いものがある。サム・メンデスの演出はキャラクター設定に幾分無理があると思うが、落ち着いたタッチで安心して観られる。
主演のオリヴィア・コールマンは評判になった「女王陛下のお気に入り」(2018年)のパフォーマンスよりも良い演技をしていると思う。マイケル・ウォードにトビー・ジョーンズ、コリン・ファースなどの脇の顔ぶれも悪くない。トレント・レズナー&アティカス・ロスの音楽も優れものだが、何よりロジャー・ディーキンスのカメラによる透き通るような映像が素晴らしい。この美しいヴィジュアルに接するだけでも、本作を観る価値がある。
80年代初頭のイギリス、海辺の町マーゲイトにある映画館エンパイア劇場の女子従業員ヒラリーは、スタッフとしてはベテランながらメンタル面で問題を抱え、おまけに支配人のドナルドからはセクハラを受けていた。その映画館に新たに採用された黒人青年スティーヴンはヒラリーを先輩として慕うが、やがて男女の仲になっていく。
面白いのは、映写技師のノーマンを除いて登場人物の誰もが映画に対してそれほどの興味を抱いていないことだ。ヒラリーは映画よりも文学が好きで、スティーヴンは大学進学までの“繋ぎの仕事”として映画館勤めを選んだに過ぎない。だが、このエンパイア劇場の佇まいには心惹かれるものがある。
この映画館は昔は地元の社交場としての位置付けで、週末には紳士淑女が着飾って集ったと思われるほど門構えは立派だ。海岸の風景とも良くマッチしている。しかし、全盛期には4つのスクリーンが稼働していたものの、すでに上階の2館は廃墟になっている。映画が娯楽の王様であった時代はとうに過ぎ、劇場のスタッフも映画を店先に並べる単なる“商品”としてしか見ていない。
それでも、終盤にはヒロインの心を慰めるものはやはり映画であったという、気の利いた展開になっている。しかも、彼女が観る映画はハル・アシュビー監督の「チャンス」(79年)だ。孤高の主人公が周囲を巻き込んでいくというこの作品(私も大好きだ)が、ヒラリーの立ち位置そして願望を反映していて感慨深いものがある。サム・メンデスの演出はキャラクター設定に幾分無理があると思うが、落ち着いたタッチで安心して観られる。
主演のオリヴィア・コールマンは評判になった「女王陛下のお気に入り」(2018年)のパフォーマンスよりも良い演技をしていると思う。マイケル・ウォードにトビー・ジョーンズ、コリン・ファースなどの脇の顔ぶれも悪くない。トレント・レズナー&アティカス・ロスの音楽も優れものだが、何よりロジャー・ディーキンスのカメラによる透き通るような映像が素晴らしい。この美しいヴィジュアルに接するだけでも、本作を観る価値がある。