(原題:TRIANGLE OF SADNESS )リューベン・オストルンド監督の前作で第70回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(2017年)は、個人的にはどこが良いのか分からなかったが、連続してカンヌで大賞を獲得した本作は幾分マシな内容ではある。だが、底の浅さは相変わらず。諸手を挙げての高評価は差し控えたい。
人気モデルでインフルエンサーとしても知られるヤヤの彼氏は、二枚目だがいまいちパッとしないモデルのカールだ。マンネリ化してきた関係を一新すべく、2人は招待を受けて豪華客船クルーズの旅に出る。乗り合わせたのは怪しげな商売で財を築いた成金ばかり。客室スタッフたちはそんな乗客たちを煙たく思いつつも、高額チップのために笑顔を絶やさない。
晩餐会の夜、船は嵐に遭遇してせっかくのパーティーは惨憺たる有様に。さらには武装組織の襲撃を受け、船は沈没。ヤヤとカールを含めた少数の生き残りは無人島に流れ着く。だが、島には食料も水も無く、携帯電話も通じない。そんな中、リーダーシップを発揮したのはサバイバル能力に長けたトイレ清掃婦のアビゲイルだった。
天候が悪化することは十分予測出来たにもかかわらず船は航行を止めず、それどころか豪華なディナーパーティーを強行。船長は飲んだくれて救助信号も送らない。果ては突然海賊が襲ってくるという無理筋の展開。要するにリアリズムを最初から放棄しており、私の苦手とするファンタジー路線を狙っている(苦笑)。
金持ちの乗客は全員が白人で、機関士には黒人がいて、掃除係はアジア人という、超図式的なキャラクター配置。それが無人島では立場が逆転するという、これまた絵に描いたようなカタルシス狙いの筋書き。格差社会と人種差別を糾弾して風刺する意図は分かるが、これだけあからさまな御膳立てだとシラけてしまう。
だが演出はパワフルで、夕食会の惨状を容赦なく描くなど、観る者を引きずり回す腕力があることは認めよう。しかし、無人島に流れ着いてからのストーリーは工夫が足りずに飽きてしまった。結局、一番面白かったのは序盤の“高級ブランドとファストファッションの、モデルの立ち回りの違い”というネタだったりする。
ハリス・ディキンソンとチャールビ・ディーンの主演コンビは好調。特にディーンはゴージャスで華があったが、撮影後に急逝したという。実に残念だ。ウッディ・ハレルソンにビッキ・ベルリン、ヘンリック・ドーシン、ドリー・デ・レオンといった顔ぶれは濃くて悪くない。それにしても、前回大賞を取った「TITANE チタン」もそうだが、カンヌ映画祭は変化球を利かせ過ぎたシャシンが有利な雰囲気だ。果たしてこのままで良いのか、大いに疑問である。
人気モデルでインフルエンサーとしても知られるヤヤの彼氏は、二枚目だがいまいちパッとしないモデルのカールだ。マンネリ化してきた関係を一新すべく、2人は招待を受けて豪華客船クルーズの旅に出る。乗り合わせたのは怪しげな商売で財を築いた成金ばかり。客室スタッフたちはそんな乗客たちを煙たく思いつつも、高額チップのために笑顔を絶やさない。
晩餐会の夜、船は嵐に遭遇してせっかくのパーティーは惨憺たる有様に。さらには武装組織の襲撃を受け、船は沈没。ヤヤとカールを含めた少数の生き残りは無人島に流れ着く。だが、島には食料も水も無く、携帯電話も通じない。そんな中、リーダーシップを発揮したのはサバイバル能力に長けたトイレ清掃婦のアビゲイルだった。
天候が悪化することは十分予測出来たにもかかわらず船は航行を止めず、それどころか豪華なディナーパーティーを強行。船長は飲んだくれて救助信号も送らない。果ては突然海賊が襲ってくるという無理筋の展開。要するにリアリズムを最初から放棄しており、私の苦手とするファンタジー路線を狙っている(苦笑)。
金持ちの乗客は全員が白人で、機関士には黒人がいて、掃除係はアジア人という、超図式的なキャラクター配置。それが無人島では立場が逆転するという、これまた絵に描いたようなカタルシス狙いの筋書き。格差社会と人種差別を糾弾して風刺する意図は分かるが、これだけあからさまな御膳立てだとシラけてしまう。
だが演出はパワフルで、夕食会の惨状を容赦なく描くなど、観る者を引きずり回す腕力があることは認めよう。しかし、無人島に流れ着いてからのストーリーは工夫が足りずに飽きてしまった。結局、一番面白かったのは序盤の“高級ブランドとファストファッションの、モデルの立ち回りの違い”というネタだったりする。
ハリス・ディキンソンとチャールビ・ディーンの主演コンビは好調。特にディーンはゴージャスで華があったが、撮影後に急逝したという。実に残念だ。ウッディ・ハレルソンにビッキ・ベルリン、ヘンリック・ドーシン、ドリー・デ・レオンといった顔ぶれは濃くて悪くない。それにしても、前回大賞を取った「TITANE チタン」もそうだが、カンヌ映画祭は変化球を利かせ過ぎたシャシンが有利な雰囲気だ。果たしてこのままで良いのか、大いに疑問である。