(原題:NOWHERE SPECIAL )ウベルト・パゾリーニ監督の前作「おみおくりの作法」(2013年)ほどの思い切った仕掛けは無く、その意味ではインパクトは弱い印象を受けるかもしれないが、これはこれで丁寧に作られたヒューマンドラマだ。感銘度は高く、鑑賞後の満足感は大きい。そして、もしも主人公のような境遇に置かれたらどのような決断を下すのか、思わず考えてしまう。
北アイルランドに住む30歳代のジョンは、窓拭き清掃員として働きながら、4歳の息子マイケルを男手ひとつで育てている。実は彼は不治の病に冒され余命幾ばくもない。何とか自分が動けるうちに息子を受け容れてくれる家族を探そうと、彼はソーシャルワーカーのショーナと協力してマイケルの里親候補たちと面会していく。だが、病気の進行が止まることはなく、やがてジョンは満足に仕事もこなせなくなる。実話からインスピレーションを受けて監督のパゾリーニが脚本を書き上げた。
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通常こういうネタを扱う際は、主人公が告知を受けて悲しみのどん底に沈む時点からドラマが始まるもので、その方が観る者の紅涙を絞り出すのには効果的だと思われるが、本作はあえてその方法を採用していない。大事なのは残りの時間をジョンがどう過ごすか、そしてマイケルが未来を託すべき家族はどうあるべきなのか、つまりはやがて訪れる主人公の終わりの時に物語が収斂していくのではなく、今現在そして将来を見据えているのである。このやり方はポジティヴで説得力がある。
里親として名乗りを上げている者たちは皆身元がしっかりしており、いずれもマイケルの新しい親としては申し分ないように思える。その中でジョンが下した選択もまた納得できるものだ。そして、決して恵まれてはいなかったジョンのそれまでの人生、そしてマイケルの母親の素性と安否にも言及しているが、その内容は痛切だ。だからこそ何とかマイケルには幸せになってほしいと、観る側としては“親目線”になってしまう。
パゾリーニの演出は正攻法で、今回はケレンを抑えてリアリズムに徹している。主演のジェームズ・ノートンは好演、ショーナに扮するアイリーン・オヒギンズも魅力的だ。マリウス・パンドゥルのカメラがとらえた北アイルランドの街並みは清涼で風情があり、アンドリュー・サイモン・マカリスターによる音楽も控えめながら効果的だ。
北アイルランドに住む30歳代のジョンは、窓拭き清掃員として働きながら、4歳の息子マイケルを男手ひとつで育てている。実は彼は不治の病に冒され余命幾ばくもない。何とか自分が動けるうちに息子を受け容れてくれる家族を探そうと、彼はソーシャルワーカーのショーナと協力してマイケルの里親候補たちと面会していく。だが、病気の進行が止まることはなく、やがてジョンは満足に仕事もこなせなくなる。実話からインスピレーションを受けて監督のパゾリーニが脚本を書き上げた。

通常こういうネタを扱う際は、主人公が告知を受けて悲しみのどん底に沈む時点からドラマが始まるもので、その方が観る者の紅涙を絞り出すのには効果的だと思われるが、本作はあえてその方法を採用していない。大事なのは残りの時間をジョンがどう過ごすか、そしてマイケルが未来を託すべき家族はどうあるべきなのか、つまりはやがて訪れる主人公の終わりの時に物語が収斂していくのではなく、今現在そして将来を見据えているのである。このやり方はポジティヴで説得力がある。
里親として名乗りを上げている者たちは皆身元がしっかりしており、いずれもマイケルの新しい親としては申し分ないように思える。その中でジョンが下した選択もまた納得できるものだ。そして、決して恵まれてはいなかったジョンのそれまでの人生、そしてマイケルの母親の素性と安否にも言及しているが、その内容は痛切だ。だからこそ何とかマイケルには幸せになってほしいと、観る側としては“親目線”になってしまう。
パゾリーニの演出は正攻法で、今回はケレンを抑えてリアリズムに徹している。主演のジェームズ・ノートンは好演、ショーナに扮するアイリーン・オヒギンズも魅力的だ。マリウス・パンドゥルのカメラがとらえた北アイルランドの街並みは清涼で風情があり、アンドリュー・サイモン・マカリスターによる音楽も控えめながら効果的だ。