(原題:Un dimanche a la campagne )84年作品。昨年(2021年)世を去ったフランスの監督ベルトラン・タヴェルニエの代表作で、第37回カンヌ国際映画祭での監督賞をはじめ、数多くのアワードを獲得している。内容も実に含蓄があり、鑑賞後の満足度はかなり高い。フランス映画の神髄を味わえる逸品だ。
1912年の秋、パリ郊外の田舎に家政婦のメルセデスと住む画家のラドミラル氏は、日曜日にパリから訪ねてくる息子のゴンザグの一家を迎える準備をしていた。やがて妻のマリー・テレーズと子供たちと一緒にやってきたゴンザグは久々の実家にリラックスするのだが、そこに予告も無く訪ねてきたのはラドミラル氏の娘イレーヌだった。
奔放な性格で未だ独身のイレーヌだが、パリでブティックをオープンさせて軌道に乗せるなど、なかなかの遣り手だ。しかし恋人との仲には悩んでもいる。ラドミラル氏は疎遠だったイレーネとの関係を修復させるべく、彼女を自分のアトリエに招いたり食事に誘ったりする。
別にドラマティックな出来事が起きるわけではない。日曜日に子供たちが帰省し、そして夕方になって皆戻って行き、また老画家のいつもの生活が始まるという、それだけの話だ。しかし、何気ない日常が続いているようでも、確実に時は動いてゆく。ゴンザグとイレーネの父に対する態度は、この積み重ねられた時の流れにシンクロするように、共感と反感を繰り返しつつ熟成したものに変化する。
ラドミラル氏の話し相手は基本的にメルセデスだけだが、その孤独も時と共に自己と折り合いを付けていく。結局、大きな事件がいくつも発生して家族のあり方を問われるというような、物語性に満ちた人生を送る者などわずかしかいないのだ。いつもの日常の繰り返しこそが、我々の生きている世界である。ただし、周りの人間との関係性や環境のちょっとした変化は、考え方や生き方に少しばかり影響を与える。その人情の機微をわずか一日の時間で描ききる本作の巧みさには唸ってしまう。
タヴェルニエの演出は達者と言うしかなく、キャストの動きと作劇の進め方にまったく揺るぎが無い。ラドミラル氏に扮するルイ・デュクルーをはじめ、サビーヌ・アゼマ、ミシェル・オーモン、モニーク・ショメットらのキャストは万全。タヴェルニエ自身もナレーションを担当している。ガブリエル・フォーレの音楽と、ブリュノ・ド・ケイゼルのカメラによる映像が美しさの限りだ。
1912年の秋、パリ郊外の田舎に家政婦のメルセデスと住む画家のラドミラル氏は、日曜日にパリから訪ねてくる息子のゴンザグの一家を迎える準備をしていた。やがて妻のマリー・テレーズと子供たちと一緒にやってきたゴンザグは久々の実家にリラックスするのだが、そこに予告も無く訪ねてきたのはラドミラル氏の娘イレーヌだった。
奔放な性格で未だ独身のイレーヌだが、パリでブティックをオープンさせて軌道に乗せるなど、なかなかの遣り手だ。しかし恋人との仲には悩んでもいる。ラドミラル氏は疎遠だったイレーネとの関係を修復させるべく、彼女を自分のアトリエに招いたり食事に誘ったりする。
別にドラマティックな出来事が起きるわけではない。日曜日に子供たちが帰省し、そして夕方になって皆戻って行き、また老画家のいつもの生活が始まるという、それだけの話だ。しかし、何気ない日常が続いているようでも、確実に時は動いてゆく。ゴンザグとイレーネの父に対する態度は、この積み重ねられた時の流れにシンクロするように、共感と反感を繰り返しつつ熟成したものに変化する。
ラドミラル氏の話し相手は基本的にメルセデスだけだが、その孤独も時と共に自己と折り合いを付けていく。結局、大きな事件がいくつも発生して家族のあり方を問われるというような、物語性に満ちた人生を送る者などわずかしかいないのだ。いつもの日常の繰り返しこそが、我々の生きている世界である。ただし、周りの人間との関係性や環境のちょっとした変化は、考え方や生き方に少しばかり影響を与える。その人情の機微をわずか一日の時間で描ききる本作の巧みさには唸ってしまう。
タヴェルニエの演出は達者と言うしかなく、キャストの動きと作劇の進め方にまったく揺るぎが無い。ラドミラル氏に扮するルイ・デュクルーをはじめ、サビーヌ・アゼマ、ミシェル・オーモン、モニーク・ショメットらのキャストは万全。タヴェルニエ自身もナレーションを担当している。ガブリエル・フォーレの音楽と、ブリュノ・ド・ケイゼルのカメラによる映像が美しさの限りだ。