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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「わたしは最悪。」

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 (原題:VERDENS VERSTE MENNESKE )主人公にまったく感情移入できない。かといって、周りのキャラクターに共感できる者がいるわけでもない。要するに、観ている側にとっては“関係のない映画”である。とはいえ、主要アワードの候補になっており、本作に何らかの普遍性を見出す観客もいるのだろう。映画というのは、受け取る側によって評価が違ってくるものだ。

 ノルウェーのオスロに住む30歳のユリヤは、いまだに人生の方向性を定めることが出来ない。もとより学力はある方だったので医学部に進学してはみるものの、合わないことが分かって早々にドロップアウト。以後も職を転々とするが、今は書店の従業員として糊口を凌いでいる。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、彼女に結婚を打診してくるが、ユリアは踏み切れない。ある日、赤の他人のパーティに紛れ込んだ彼女は、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会い、恋に落ちる。



 30歳になっても根無し草のような生活を送るヒロインを描いた映画としてまず思い出されるのはパトリシア・ロゼマ監督の快作「私は人魚の歌を聞いた」(87年)であるが、本作はそれに遠く及ばない。「私は人魚の~」の主人公は実生活こそ冴えないが、内面は宝石のように美しい。また、それを表現するだけの卓越した映像処理も完備していた。

 対してこの映画のユリヤは、単なる“だらしのない女”にしか見えない。行き当たりばったりに生き、同世代の女たちからは人生のスキルにおいて、おそらく大差を付けられている。それでいて“アタシはまだ本気出していないだけっ!”みたいな中二病的スタンスも匂わせ、観ていて苦笑するしかない。

 それでも大向こうを唸らせるような突出した映像表現があるのならば話は別だが、せいぜい“ユリヤの視点では時間が停止した”という底の浅いギミックが提示される程度で、あとは何もない。アクセルもアイヴィンも、そしてユリヤの母も、魅力ある人物として描かれていない。ヨアキム・トリアーの演出は平板で、作劇は盛り上がりに欠ける。

 主演のレナーテ・レインスベは頑張っているとは思うが、キャラクター設定が斯くの如しなので求心力は希薄。アンデルシュ・ダニエルセン・リーやハーバート・ノードラムといった他のキャストもパッとしない。ただひとつ良かったと思ったのは、オスロの街の風景だ。坂の多い港町で、歴史ある建物の間を市電が走る。一度は住んでみたいと思わせる風情がある。

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