(原題:TOP GUN:MAVERICK)いかにもトム・クルーズ主演作らしい、大雑把で能天気なシャシンだ。そのことを割り切った上で気楽に楽しめれば文句は無いのだろうが、あいにく当方はそんなに素直な性格ではない(笑)。突っ込むべき点は遠慮なく突っ込ませていただく。少なくとも“ジェット機の轟音が鳴り響けば、それで満足”といった次元からは距離を置きたい。
伝説の戦闘機乗りであるピート・“マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐が、若き精鋭たちの指導に当たるためノースアイランド海軍航空基地の教官として現場復帰する。彼が担当するプロジェクトは、某“ならず者国家”が建設中のウラン濃縮プラントの壊滅に向けての要員養成だ。着任早々、彼は訓練生たちと衝突。しかも彼らの中には、かつてマーヴェリックとの訓練飛行中に殉職した戦友グースの息子ルースターの姿もある。前途多難だが、基地司令官が昔の相棒であるトム・“アイスマン”・カザンスキーであったことから、マーヴェリックは職務に専念せざるを得なくなる。
まず、いつからアメリカ海軍の将校はヘルメット無しでバイクをぶっ飛ばしても良いことになったのだろうか。映画限定の作り話かもしれないが、危機管理上はアウトの案件だ。また、劇中の“ならず者国家”とはいったいどこなのか。まさかロシアや中国に米軍が直接手を下すわけにもいかないので、イランか北朝鮮なのか。しかし、どう見てもあの基地は違うように思う。
しかも、敵の戦闘機はたぶんSu-57だ。この機体はロシア以外には配備されていないはずだが、どういう事情なのだろうか。また、第五世代ステルス戦闘機が簡単にレーダーに映ってしまう不思議。ついでに言えば、米軍のF/A-18がSu-57に空中戦で互角に渡り合えるとも思えない。そして、なぜか敵基地に“あの飛行機”が完動品として保管されているという謎設定。
クライマックスの敵基地攻撃のシークエンスは、明らかに「スター・ウォーズ」のエピソード4(77年)のパクりである。さらに言えば、その元ネタであるイギリス映画「633爆撃隊」(1964年)の類似品でもある。あと、主人公と恋人のペニーとのアバンチュール(?)は、日本のラブコメも真っ青なワザとらしさだ。
ジョセフ・コジンスキーの演出は平板で、戦闘シーン以外は気合いが入っているとは思えない。トム御大扮する主人公をはじめ、誰一人として血の通ったキャラクターはいない。まるで皆ゲームの中のパーソナリティのようだ。ジェニファー・コネリーにヴァル・キルマー、ジョン・ハム、エド・ハリスなどキャストは駒を揃えているが、印象に残る演技は見つけられない。
レディー・ガガによる主題歌も、ほとんど記憶に残らない。なお、トニー・スコット監督による前作(86年)はリアルタイムで観たはずだが、使用楽曲以外は内容はまったく覚えていない。それだけ大味でコクの無い映画だったということだが、本作もいずれ忘却の彼方に消え去ることだろう。
伝説の戦闘機乗りであるピート・“マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐が、若き精鋭たちの指導に当たるためノースアイランド海軍航空基地の教官として現場復帰する。彼が担当するプロジェクトは、某“ならず者国家”が建設中のウラン濃縮プラントの壊滅に向けての要員養成だ。着任早々、彼は訓練生たちと衝突。しかも彼らの中には、かつてマーヴェリックとの訓練飛行中に殉職した戦友グースの息子ルースターの姿もある。前途多難だが、基地司令官が昔の相棒であるトム・“アイスマン”・カザンスキーであったことから、マーヴェリックは職務に専念せざるを得なくなる。
まず、いつからアメリカ海軍の将校はヘルメット無しでバイクをぶっ飛ばしても良いことになったのだろうか。映画限定の作り話かもしれないが、危機管理上はアウトの案件だ。また、劇中の“ならず者国家”とはいったいどこなのか。まさかロシアや中国に米軍が直接手を下すわけにもいかないので、イランか北朝鮮なのか。しかし、どう見てもあの基地は違うように思う。
しかも、敵の戦闘機はたぶんSu-57だ。この機体はロシア以外には配備されていないはずだが、どういう事情なのだろうか。また、第五世代ステルス戦闘機が簡単にレーダーに映ってしまう不思議。ついでに言えば、米軍のF/A-18がSu-57に空中戦で互角に渡り合えるとも思えない。そして、なぜか敵基地に“あの飛行機”が完動品として保管されているという謎設定。
クライマックスの敵基地攻撃のシークエンスは、明らかに「スター・ウォーズ」のエピソード4(77年)のパクりである。さらに言えば、その元ネタであるイギリス映画「633爆撃隊」(1964年)の類似品でもある。あと、主人公と恋人のペニーとのアバンチュール(?)は、日本のラブコメも真っ青なワザとらしさだ。
ジョセフ・コジンスキーの演出は平板で、戦闘シーン以外は気合いが入っているとは思えない。トム御大扮する主人公をはじめ、誰一人として血の通ったキャラクターはいない。まるで皆ゲームの中のパーソナリティのようだ。ジェニファー・コネリーにヴァル・キルマー、ジョン・ハム、エド・ハリスなどキャストは駒を揃えているが、印象に残る演技は見つけられない。
レディー・ガガによる主題歌も、ほとんど記憶に残らない。なお、トニー・スコット監督による前作(86年)はリアルタイムで観たはずだが、使用楽曲以外は内容はまったく覚えていない。それだけ大味でコクの無い映画だったということだが、本作もいずれ忘却の彼方に消え去ることだろう。