先日観た「愛なのに」とは監督と脚本が交代しての一作。共通点は複数の男女による面倒くさい恋愛関係を描いていること、および猫が出てくることだが、出来としては「愛なのに」より落ちる。いくら演出が達者でも、肝心の筋書き(シナリオ)が冴えなかったら映画のクォリティは上がらないのだ。また、キャスティングも弱体気味である。
漫画家の町田亜子と夫で週刊誌記者の広重は離婚寸前。亜子は出版社の担当者の俊也と懇ろになっており、広重は同僚の真美子とよろしくやっている。いわば互いに納得しての協議離婚になるはずだった。しかし、飼い猫のカンタ(♂)をどちらが引き取るかで揉めていた。そんな中、カンタが“家出”してしまう。当初は隣家のメス猫とじゃれ合っているだけだと思われたが、どこを探しても見つからない。一方、真実子と俊也は偶然カンタを拾ったことで知り合い、意気投合してしまう。
冒頭、広重が離婚届に押印しようとしたら、いきなりカンタが“乱入”して離婚届の上でオシッコをしてしまうという寸劇が展開されるが、何だか面白くない。これは要するに、納得の上での離婚と思わせて、実は別れることに躊躇しているという図式がミエミエなのだ。しかも、そのことを猫の失踪に無理矢理結びつけようとしている。斯様に思慮の浅い登場人物たちが並んでいること自体、観ていて気勢が上がらない。
真実子と俊也に関しても同様で、作者は猫にかこつけて無理に仲良くさせようとしているだけ。動物におんぶに抱っこの作劇では、求心力に欠ける。しかも、本作は「愛なのに」とは異なり、もつれた関係にリアリティを持たせるようなモチーフが存在しない。何となく始まって、何となく収まるところに収まったという、芸の無い話が披露されるのみだ。
今泉力哉の演出は、ラスト近くの長回しに代表されるように頑張ってはいるのだが、城定秀夫による脚本はイマイチである。もっと意外性を出して欲しい。毎熊克哉と井之脇海の男性陣は役を小器用にこなしている次元に留まり、山本奈衣瑠と手島実優は諸肌脱いで健闘しているのだが、痩せぎすの身体では観ていてソソらない(笑)。伊藤俊介や中村久美、芹澤興人といった脇の面子の方がまだ興味を持たせる演技をしている。平見優子の撮影と菅原慎一による音楽も、大して印象に残らず。
漫画家の町田亜子と夫で週刊誌記者の広重は離婚寸前。亜子は出版社の担当者の俊也と懇ろになっており、広重は同僚の真美子とよろしくやっている。いわば互いに納得しての協議離婚になるはずだった。しかし、飼い猫のカンタ(♂)をどちらが引き取るかで揉めていた。そんな中、カンタが“家出”してしまう。当初は隣家のメス猫とじゃれ合っているだけだと思われたが、どこを探しても見つからない。一方、真実子と俊也は偶然カンタを拾ったことで知り合い、意気投合してしまう。
冒頭、広重が離婚届に押印しようとしたら、いきなりカンタが“乱入”して離婚届の上でオシッコをしてしまうという寸劇が展開されるが、何だか面白くない。これは要するに、納得の上での離婚と思わせて、実は別れることに躊躇しているという図式がミエミエなのだ。しかも、そのことを猫の失踪に無理矢理結びつけようとしている。斯様に思慮の浅い登場人物たちが並んでいること自体、観ていて気勢が上がらない。
真実子と俊也に関しても同様で、作者は猫にかこつけて無理に仲良くさせようとしているだけ。動物におんぶに抱っこの作劇では、求心力に欠ける。しかも、本作は「愛なのに」とは異なり、もつれた関係にリアリティを持たせるようなモチーフが存在しない。何となく始まって、何となく収まるところに収まったという、芸の無い話が披露されるのみだ。
今泉力哉の演出は、ラスト近くの長回しに代表されるように頑張ってはいるのだが、城定秀夫による脚本はイマイチである。もっと意外性を出して欲しい。毎熊克哉と井之脇海の男性陣は役を小器用にこなしている次元に留まり、山本奈衣瑠と手島実優は諸肌脱いで健闘しているのだが、痩せぎすの身体では観ていてソソらない(笑)。伊藤俊介や中村久美、芹澤興人といった脇の面子の方がまだ興味を持たせる演技をしている。平見優子の撮影と菅原慎一による音楽も、大して印象に残らず。