87年東宝作品。吉永小百合の出演作を全部観ているわけではないが、彼女は稀代の大根俳優であり、演技面ではほとんど実績を残していないことは確かであろう。本作は市川崑監督による田中絹代の伝記映画だが、吉永のパフォーマンスは(頑張っているのは分かるのだが)やっぱり低調だ。しかし、そのことに目を瞑れば、そこそこ楽しめるシャシンかと思う。
映画は大正14年に田中絹代が蒲田撮影所の大部屋女優として採用された時点から始まり、彼女を熱烈に推す新人監督の清光宏との関係性や、次々と不祥事を起こす家族たちに言及しつつ、それでも精進してスターの座につく彼女の姿を追う。やがて大物監督の溝内健二と出会い、女優として新たな一歩を踏み出すまでを描く。新藤兼人による「小説・田中絹代」の映画化だ。
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劇中の清光宏は清水宏のことであり、溝内健二は溝口健二で、五生平之肋は五所平之助を指していることは論を待たない。しかし、どういうわけかヒロインの名は田中絹代そのままで、さらに小津安二郎だけは“本名”の役柄が振られている。これは実に居心地が悪い。作者のえり好みか、あるいは余計な忖度があったのかと勘ぐりたくもなる。
だいたい、日本映画史上屈指の女優である田中絹代を吉永が演じようという、その企画自体に無理がある。唐突に打ち切られるラストも感心しない。ただ、吉永を除けば各演技者の仕事ぶりは評価に値する。母親に扮する森光子をはじめ、常田富士男に田中隆三、横山通乃、石坂浩二、渡辺徹、中井貴一、平田満、岸田今日子など、豪華な顔ぶれが映画を盛り上げる。
圧巻なのは溝内を演じる菅原文太で、そのスケールの大きさと、映画に対する造詣の深さを上手く醸し出している。彼のフィルモグラフィの中では、任侠物以外では上位にランクすると思われる。また、上原謙と高田浩吉が本人役で出ているのはご愛嬌だ。
結果として、昭和20年代までの日本映画の盛衰を要領よくまとめているという点は(あまり深みは無いが)認めて良いと思う。脚本は原作と同じく新藤と日高真也そして市川が担当しているが、和田夏十が手掛けていればもっと面白くなったのかもしれない。五十畑幸勇のカメラによる映像は美しく、谷川賢作の音楽も万全だ。
映画は大正14年に田中絹代が蒲田撮影所の大部屋女優として採用された時点から始まり、彼女を熱烈に推す新人監督の清光宏との関係性や、次々と不祥事を起こす家族たちに言及しつつ、それでも精進してスターの座につく彼女の姿を追う。やがて大物監督の溝内健二と出会い、女優として新たな一歩を踏み出すまでを描く。新藤兼人による「小説・田中絹代」の映画化だ。

劇中の清光宏は清水宏のことであり、溝内健二は溝口健二で、五生平之肋は五所平之助を指していることは論を待たない。しかし、どういうわけかヒロインの名は田中絹代そのままで、さらに小津安二郎だけは“本名”の役柄が振られている。これは実に居心地が悪い。作者のえり好みか、あるいは余計な忖度があったのかと勘ぐりたくもなる。
だいたい、日本映画史上屈指の女優である田中絹代を吉永が演じようという、その企画自体に無理がある。唐突に打ち切られるラストも感心しない。ただ、吉永を除けば各演技者の仕事ぶりは評価に値する。母親に扮する森光子をはじめ、常田富士男に田中隆三、横山通乃、石坂浩二、渡辺徹、中井貴一、平田満、岸田今日子など、豪華な顔ぶれが映画を盛り上げる。
圧巻なのは溝内を演じる菅原文太で、そのスケールの大きさと、映画に対する造詣の深さを上手く醸し出している。彼のフィルモグラフィの中では、任侠物以外では上位にランクすると思われる。また、上原謙と高田浩吉が本人役で出ているのはご愛嬌だ。
結果として、昭和20年代までの日本映画の盛衰を要領よくまとめているという点は(あまり深みは無いが)認めて良いと思う。脚本は原作と同じく新藤と日高真也そして市川が担当しているが、和田夏十が手掛けていればもっと面白くなったのかもしれない。五十畑幸勇のカメラによる映像は美しく、谷川賢作の音楽も万全だ。