(原題:The Rainbow )89年作品。英国の異能監督として名高いケン・ラッセルの作品としては珍しく、真っ当な文芸作品としての体裁を取っている。ただし、それだけ他の諸作と比べてエキセントリックさが大きく出ていないということでもあり、このあたりの評価は微妙なところであろう。個人的には、ラッセル映画に大きく“期待”することをひとまず脇に置けば、取りあえず楽しめる作品であると思う。
19世紀末のヴィクトリア朝時代のイギリス。片田舎で育った少女アーシュラは、保守的な考え方を持った両親の思惑とは裏腹に、自由な生き方に憧れていた。まず彼女が影響を受けたのは女教師ウィニフレッドだったが、その先進的な振る舞いとは大違いの、炭鉱成金と結婚して平凡な主婦になることを選んだウィニフレッドにアーシュラは失望してしまう。
そんな彼女の前に現われたのは、ボーア戦争に参加していた軍人のアントンだった。彼のことが好きになったアーシュラは数年後に軍役を終えたアントンと結婚するが、何か物足りなさを感じてしまう。デイヴィッド・ハーバート・ローレンスによる同名小説の映画化だ。
原作は読んでいないが、親子三代にわたる大河ドラマということなので、本作はその一部を映像化したものであろう。ただしこれは結局“自由に生きようとしたが、確固とした自我が培われないまま彷徨するヒロイン”の話としか思えない。映画の後半になっても、アーシュラには筋の通ったポリシーと、それを実現するための方法論が見えてこない。ウィニフレッドとの体験談から一歩も外に出ていないように見えるのだ。
しかしながら、ラッセル監督には主人公の自立を促すような“女性映画”のルーティンは似合わない。文芸もののエクステリアを採用しながら、巧妙に自身の“趣味”を挿入していくことに興味があったと思われる。その最たるものがアントンの造形で、裸でワインのコルクを抜こうとするシーンとか、実に変態っぽいテイストが醸し出されている(笑)。
主役のサミ・デイヴィスは好演で、ちょいとヤバい場面も難なくこなす。アマンダ・ドノホーやグレンダ・ジャクソン、ポール・マッギャンなど他のメンバーも監督の“無茶振り”に上手く対応。カール・デイヴィスの音楽とビリー・ウィリアムスによる撮影は格調が高く、雰囲気作りに貢献している。
19世紀末のヴィクトリア朝時代のイギリス。片田舎で育った少女アーシュラは、保守的な考え方を持った両親の思惑とは裏腹に、自由な生き方に憧れていた。まず彼女が影響を受けたのは女教師ウィニフレッドだったが、その先進的な振る舞いとは大違いの、炭鉱成金と結婚して平凡な主婦になることを選んだウィニフレッドにアーシュラは失望してしまう。
そんな彼女の前に現われたのは、ボーア戦争に参加していた軍人のアントンだった。彼のことが好きになったアーシュラは数年後に軍役を終えたアントンと結婚するが、何か物足りなさを感じてしまう。デイヴィッド・ハーバート・ローレンスによる同名小説の映画化だ。
原作は読んでいないが、親子三代にわたる大河ドラマということなので、本作はその一部を映像化したものであろう。ただしこれは結局“自由に生きようとしたが、確固とした自我が培われないまま彷徨するヒロイン”の話としか思えない。映画の後半になっても、アーシュラには筋の通ったポリシーと、それを実現するための方法論が見えてこない。ウィニフレッドとの体験談から一歩も外に出ていないように見えるのだ。
しかしながら、ラッセル監督には主人公の自立を促すような“女性映画”のルーティンは似合わない。文芸もののエクステリアを採用しながら、巧妙に自身の“趣味”を挿入していくことに興味があったと思われる。その最たるものがアントンの造形で、裸でワインのコルクを抜こうとするシーンとか、実に変態っぽいテイストが醸し出されている(笑)。
主役のサミ・デイヴィスは好演で、ちょいとヤバい場面も難なくこなす。アマンダ・ドノホーやグレンダ・ジャクソン、ポール・マッギャンなど他のメンバーも監督の“無茶振り”に上手く対応。カール・デイヴィスの音楽とビリー・ウィリアムスによる撮影は格調が高く、雰囲気作りに貢献している。