(原題:DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA )演奏者のパフォーマンスは素晴らしく、音楽ドキュメンタリーとしての体裁は整えられているが、これがスパイク・リーが演出を担当すると、途端にヴォルテージが落ちてくる。音楽に造型の深い別の監督が担当した方が、数段良い映画に仕上がったはずだ。
91年に解散したトーキング・ヘッズのリーダーであるデイヴィッド・バーンが、2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーを描いたものだ。さまざまな国籍を持つ11人のミュージシャンやダンサーとともに舞台の上を動き回り、同アルバムから5曲とトーキング・ヘッズ時代の9曲など、計21曲を演奏する。彼らはすべて楽器を“身体に装着”し、ステージ上には信号を送るケーブル類が存在せず、自由闊達なパフォーマンスを披露する。
全員がかなりのテクニシャンで、その一糸乱れぬアンサンブルには驚くしかない。しかしながら、彼らの衣裳が地味なグレーの揃いのスーツであるのは、どうも意図不明だ。しかも、仕立ては上等ではないように見える。さらに、全員が裸足であるのは違和感しか覚えない。裸足であることで何か舞台上の効果が生じるわけでもないのだ。頻繁に挿入されるバーンのMCは、大して面白くもない。観客を“イジる”場面も完全に不発だ。
そして中盤過ぎると興趣を大幅に削ぐ展開になる。突然バーンが“彼の名を呼べ!”と叫び、理不尽な暴力で命を失った多くの黒人の名前と写真が大々的に映し出されるのだ。これはどう見ても音楽ライブではなく、政治的アジテーションに過ぎない。そう、スパイク・リーはこれがやりたかったのである。
元々この出し物に反黒人差別の要素が入っているのかどうかは知らないが、少なくともこの演出は、コンサートのテンションを断ち切るものでしかない。さらに言えば、終盤に描かれる観客席には黒人の姿はほとんど見受けられず、釈然としない気分は大きくなるばかりだ。
トーキング・ヘッズのライブ映像といえば、まずジョナサン・デミ監督の傑作「ストップ・メイキング・センス」(84年)を思い出すが、本作はあれに遠く及ばない。また、バーンのソロアルバムからの楽曲よりも、トーキング・ヘッズ時代のナンバーの方が遙かに優れている。いかにあのバンドの業績が大きかったのか、改めて痛感した。
91年に解散したトーキング・ヘッズのリーダーであるデイヴィッド・バーンが、2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーを描いたものだ。さまざまな国籍を持つ11人のミュージシャンやダンサーとともに舞台の上を動き回り、同アルバムから5曲とトーキング・ヘッズ時代の9曲など、計21曲を演奏する。彼らはすべて楽器を“身体に装着”し、ステージ上には信号を送るケーブル類が存在せず、自由闊達なパフォーマンスを披露する。
全員がかなりのテクニシャンで、その一糸乱れぬアンサンブルには驚くしかない。しかしながら、彼らの衣裳が地味なグレーの揃いのスーツであるのは、どうも意図不明だ。しかも、仕立ては上等ではないように見える。さらに、全員が裸足であるのは違和感しか覚えない。裸足であることで何か舞台上の効果が生じるわけでもないのだ。頻繁に挿入されるバーンのMCは、大して面白くもない。観客を“イジる”場面も完全に不発だ。
そして中盤過ぎると興趣を大幅に削ぐ展開になる。突然バーンが“彼の名を呼べ!”と叫び、理不尽な暴力で命を失った多くの黒人の名前と写真が大々的に映し出されるのだ。これはどう見ても音楽ライブではなく、政治的アジテーションに過ぎない。そう、スパイク・リーはこれがやりたかったのである。
元々この出し物に反黒人差別の要素が入っているのかどうかは知らないが、少なくともこの演出は、コンサートのテンションを断ち切るものでしかない。さらに言えば、終盤に描かれる観客席には黒人の姿はほとんど見受けられず、釈然としない気分は大きくなるばかりだ。
トーキング・ヘッズのライブ映像といえば、まずジョナサン・デミ監督の傑作「ストップ・メイキング・センス」(84年)を思い出すが、本作はあれに遠く及ばない。また、バーンのソロアルバムからの楽曲よりも、トーキング・ヘッズ時代のナンバーの方が遙かに優れている。いかにあのバンドの業績が大きかったのか、改めて痛感した。