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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「旅立つ息子へ」

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 (原題:HERE WE ARE )第73回カンヌ国際映画祭では評判になったイスラエル映画だが、実際観てみると釈然としない部分が多い。何より、本作の主人公は題名にある“息子”ではなく“親(ここでは父親)”であることに拍子抜けし、しかもその描き方はとても共感できないものだ。最初から親が冷静に対処していれば、もっと物事はスムーズに進んだはずで、物語自体が余計なものであったという印象は拭い難い。

 テルアビブ郊外に暮らすアハロンは、かつては名の知れたグラフィックデザイナーだったが、今は仕事を辞めて息子のウリと二人暮らしだ。ウリには重度の自閉症があり、介護が無ければ日常生活が送れない(ように見える)。アハロンは息子の世話に専念するため、すべてのキャリアを捨てたのだった。



 妻のタマラは夫の頑迷な態度に愛想を尽かし、とっくの昔に家を出ている。それでもタマラは息子の将来を心配し、ウリを全寮制の特別支援施設へ入れようとする。この件はすでに行政レベルで決定しており、定職の無いアハロンには反論できない。ところが入所当日、ウリは父と別れることを嫌がりパニックを起こす。それを見たアハロンは、息子を守るのは自分しかいないと思い立ち、2人で当ての無い逃避行に出る。

 アハロンの態度はとても納得できるものではない。親は子供の世話を永遠には続けられないのだが、アハロンはそのことには思い至らない。息子のために高収入が期待される仕事を投げ出し、それが結局自分の首を絞めることも分からないようだ。

 そもそも、アハロンは付き合いにくい人物である。妻の立場を理解しようとしないし、遠方に暮らす弟にも辛く当たる。プライドが高く、世の中が自分中心に回っていると信じている。そんな者を描いて何か映画的興趣が醸し出せれば文句はないのだが、最後まで見出すことは出来なかった。子離れできないオッサンの行状を漫然と追うばかりでは、面白くなるわけがない。

 ニル・ベルグマンの演出は丁寧ではあるが、脚本とキャラクター設定に難があるので求心力を発揮できていない。ウリがいつも見ているチャップリンの「キッド」を無理に伏線にしようとしているあたりも、思わせぶりでつまらない。主役のシャイ・アビビとノアム・インベルは好演で、スマダル・ボルフマンにエフラット・ベン・ツア、アミール・フェルドマンといった脇の面子も悪くないだけに残念だ。なお、シャイ・ゴールドマンのカメラが捉えたイスラエルの風景(特にリゾート地)はキレイだ。

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