(原題:mid90s)たぶん90年代にティーンエイジャーだった観客(それも一部)ならば、大いにウケるのだろう。しかし、そうではない者(私も含む)にとっては、どうでもいい映画である。ドラマ自体に見せ場に乏しく、盛り上がりも無い。各キャラクターもそれほど“立って”おらず、85分という短い尺ながら、随分と長く感じてしまった。
90年代半ばのロスアンジェルスの下町。13歳のスティーヴィーは兄イアンと母ダブニーの3人暮らしだ。彼は小柄で、身体が大きく力も強い兄にいつもやり込められている。不満を抱えたスティーヴィーが出会ったのが、路上でスケートボードに興じる少年たちだった。彼らがたむろするスケートボード・ショップに思い切って入ってみたスティーヴィーは、意外と簡単に仲間に入れてもらえる。ボードも安く譲ってもらった彼は、その日から練習を重ねるが、自由気ままに日々を送っているように見えた彼らが、実はそれぞれ大きな屈託を抱えていたことを知るのだった。
冒頭、イアンにねじ伏せられるスティーヴィーが映し出されるが、彼が兄に対して大きな反抗心を持っているわけではない。それどころか親近感を覚えている。父親はいないが、母はカタギの人間だし、家庭内にはそれほど大きな問題は存在しない。スケボー仲間は見かけは不良っぽいが、中身はどこにでもいる(少々悪ぶった)少年たちだ。各々悩みはあるが、ドラマを動かすような重大なものではない。
このように、映画的興趣を醸し出すようなアクションを起こしそうもない者ばかり並んでいるので、展開も平板にならざるを得ない。映画の重要モチーフになるはずのスケートボードにしても、60年代から存在しているアイテムなので、映画の時間軸においてクローズアップしている意味がよく掴めない。
登場人物の誰かが大会に出て活躍するといった筋書きでもあるのかと思ったら、そうでもない。何もないまま、おそらくは作者のノスタルジーだけに乗っかって進むだけなので、観ているこちらは退屈するしかない。これで初監督になるジョナ・ヒルの仕事ぶりには、殊更に言及するべきことはない。
サニー・スリッチにキャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ、ナケル・スミスといったキャストも印象に残らず。使われている音楽がヒップホップ中心であったのも、個人的には納得出来なかった。何しろ私にとっての90年代の音楽シーンは、グランジとブリット・ポップなのだ(笑)。
90年代半ばのロスアンジェルスの下町。13歳のスティーヴィーは兄イアンと母ダブニーの3人暮らしだ。彼は小柄で、身体が大きく力も強い兄にいつもやり込められている。不満を抱えたスティーヴィーが出会ったのが、路上でスケートボードに興じる少年たちだった。彼らがたむろするスケートボード・ショップに思い切って入ってみたスティーヴィーは、意外と簡単に仲間に入れてもらえる。ボードも安く譲ってもらった彼は、その日から練習を重ねるが、自由気ままに日々を送っているように見えた彼らが、実はそれぞれ大きな屈託を抱えていたことを知るのだった。
冒頭、イアンにねじ伏せられるスティーヴィーが映し出されるが、彼が兄に対して大きな反抗心を持っているわけではない。それどころか親近感を覚えている。父親はいないが、母はカタギの人間だし、家庭内にはそれほど大きな問題は存在しない。スケボー仲間は見かけは不良っぽいが、中身はどこにでもいる(少々悪ぶった)少年たちだ。各々悩みはあるが、ドラマを動かすような重大なものではない。
このように、映画的興趣を醸し出すようなアクションを起こしそうもない者ばかり並んでいるので、展開も平板にならざるを得ない。映画の重要モチーフになるはずのスケートボードにしても、60年代から存在しているアイテムなので、映画の時間軸においてクローズアップしている意味がよく掴めない。
登場人物の誰かが大会に出て活躍するといった筋書きでもあるのかと思ったら、そうでもない。何もないまま、おそらくは作者のノスタルジーだけに乗っかって進むだけなので、観ているこちらは退屈するしかない。これで初監督になるジョナ・ヒルの仕事ぶりには、殊更に言及するべきことはない。
サニー・スリッチにキャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ、ナケル・スミスといったキャストも印象に残らず。使われている音楽がヒップホップ中心であったのも、個人的には納得出来なかった。何しろ私にとっての90年代の音楽シーンは、グランジとブリット・ポップなのだ(笑)。