言うまでもなく政治学の古典で、本当は若い頃に手に取るべき書物なのだが、私が読んだのはつい最近である(笑)。とはいえ、内容は示唆に富んでおり、本当に読んで良かったと思える。また、本書が刊行された中世イタリアの状況や、それまでの歴史をチェック出来るという意味でも有意義だ。
失脚した官僚であるマキアヴェリが隠遁生活中に書き上げ、1516年にウルビーノ公ロレンツォへの献上文を付して友人のフランチェスコ・ヴェットリに託されている。本当はこの著作にはタイトルが付いていなかったが、ヴェットリには“君主体制に関する本だ”と伝えていたため、後に「君主論」と呼ばれるようになったらしい。
一般に“マキャヴェリズム”という言葉があるように、徹底して君主にとっての国益や国権の維持といった功利的な視点から書かれており、道徳や倫理などは二の次、三の次として扱われている。それどころか“人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるものだ”といった極論(しかし、ある意味真実)も散見される。その思い切りの良さは、一種の爽快感を覚えるほどだ。
最も印象的だったのが、軍事に関する記述である。君主にとって軍備と法律は不可欠なものであり、十分な武力を整備して初めて良い法が成立するとマキアヴェリは説くが、その通りだと思う。また、軍隊は自国軍を中心とすべきで、傭兵だの外国勢力だのに頼るとロクなことにならないとも言う。これは、現代にも通用する言説であろう。
特に我が国は、防衛を日米安保に丸投げするという前提で国防を語るということが常態化している。近年問題視された集団的自衛権の採用なんてのは、まさに主権を放棄したような暴挙だ。もしも中世ヨーロッパにおいて今の日本のような体制の国があれば、たちまち他国に蹂躙されてしまうだろう。
それにしても“信義を無視して謀略によって大きな仕事を成し遂げた君主の方が、信義ある君主よりも断然優勢である”という一文は、政治家はもちろん国民も胸に刻むべきだと思う。本来君主にとって“どういう結果を残したか”というのが、一番評価されるべきポイントなのだ。結果を出さずとも“何となく、頑張っているように思える”といった政治家に対する曖昧な印象論が罷り通る現状は、憂慮するしかない。