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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「人間の証明」

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 77年作品。角川映画の大ヒット作ながら、出来はかなり悪い。東京のホテルで黒人青年が殺されたのをきっかけに、日米両国の戦後史の暗い部分が浮き彫りになる・・・・ような筋書きだが、どうでもいいような脇のモチーフが必要以上に多く、散漫な印象のまま“お涙頂戴”のラストに突入するという、何とも冴えないシャシンなのだ。

 田茉莉子に松田優作、夏八木勲、岩城滉一、竹下景子と豪華な顔ぶれを集め、脚本が松山善三で監督が佐藤純彌という有名どころのスタッフを揃えていながら、かくも低調な映画しか出来なかったというのは、プロデューサーの角川春樹の無能さ故だろう。ただしこの作品、内容そのものよりも、映画を取り巻いていた状況の方が興味深かったと思う。



 角川春樹の戦略は、徹底したメディアミックス路線であった。とにかく山のような広告費をつぎ込み、テレビCMも大量にオンエアさせ、キャッチコピーを流行語にまで押し上げる(もちろん、本業であった出版部門とのリンクは言うまでもない)。その洪水的な宣伝攻勢により“この映画を観なければ遅れている”というような風潮を世間的に作り上げる。いわば観客を催眠状態に置いて劇場に雪崩れ込ませるという、当時としては画期的なマーケティングを示していたことは間違いない。

 ところが、そういう新しいPR方法を提案したまではいいが、肝心の映画が古色蒼然とした“母もの”でしかなかったのは、脱力せざるを得なかった。おそらくは、プロデューサー側では“大量動員させる映画なんてのは、単純なメロドラマあたりがちょうど良い”という見くびった態度を取っていたのだろう。

 困ったことにこの手法はフジテレビをはじめとする放送メディアに引き継がれ、CMを頻繁に流して作品の知名度だけを上げ、映画の出来は二の次・三の次というスタイルが出来上がったのは嘆かわしいところだ。

 とはいえ、角川がこういう宣伝方法を取って邦画を興行的に活性化させなかったら、70年代後半からの日本映画の凋落ぶりはもっと大きかったと思われる。それを考えると複雑な気持ちになるのは確かである。

 さて、本作は“意味の無いニューヨーク・ロケ”が挿入されているが、これは後年の角川自身の映画に良く出てくる“意味の無い外国人の登場シーン”の嚆矢とも受け取られ、何とも愉快ならざる気分になってくる(爆)。

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