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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「しとやかな獣」

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 昭和37年大映作品。めちゃくちゃ面白い。まさに快作。森田芳光監督の「家族ゲーム」(83年)の原型とも言えるが、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」(2019年)にも通じる現代性、さらには我が国の戦後史をすくい取る奥深さをも併せ持つ、この頃の日本映画を代表するマスターピースである。

 都内の団地に住む前田家の主である時造は元海軍中佐ながら、戦後はドン底の生活を経験していた。マジメに生きても先が見えないと悟った彼は、子供たちに詐欺まがいの行為を奨励し、そうやって得た金でこのアパートに居を構えていたのだ。具体的には、芸能プロダクションに勤めている息子の実には会社の金を横領させ、娘の友子は小説家吉沢の妾として金を貢がせていた。



 実は同僚の三谷幸枝と懇ろな関係にあったが、その幸枝が、事業として旅館を開業することになったから別れたいと言い出す。幸枝は前田一家を凌ぐほどの食わせもので、夫に先立たれて子供を育てなければならない彼女は、男たちの誘惑に乗ったと見せかけて、しっかりと金を掠め取っていた。実に対しても“都合の良い金ヅル”としか思っていない。しかも税務署の神谷を抱き込んでいる社長の香取とも昵懇の間柄である幸枝は、絶対に罪に問われない立場にいた。そんな中、神谷は背任の疑いで懲戒免職になってしまう。

 とにかく、前田家の造型が最高だ。目的のためならば手段を選ばず、阿漕な真似も断じて恥じることは無い。なぜなら、彼らは終戦直後の惨状を知っているからだ。自分たちは意味も無く不憫な境遇に置かれたのだから、そこから這い上がるには非常識な方法を用いて当然だと思っている。

 それが如実に表面化するのは、のべつ幕無くセリフを並べて周囲を煙に巻いてばかりの彼らが、戦争が終わってすぐのことを思い出すと身体が硬直化して寡黙になるという場面だ。世間を欺き、社会に寄生する前田家の面々が、実は敗戦のトラウマに“逆寄生”されている倒錯した構図が焙り出されてくる。そんな理不尽さを忘れようとするかのように、夕陽をバックに実と友子が踊りまくるシーンは強烈だ。

 そして前田一家や幸枝はイレギュラーな遣り口で世の中を渡ってはいるが、立場は“下層”のままである。香取や吉沢のような“上級国民”には絶対になれない。その絶望的な格差のメタファーとして持ち出されるのが、この団地の意匠だ。基本的に、カメラはアパートから出ることはない。

 前田一家のエネルギッシュな生き様があらゆるアングルから活写されるが、それは団地の密室性および彼らの人生の閉塞感を示すのみで、開放感は皆無だ。しかも、前田家を尋ねた幸枝が部屋から外に出ると、不気味な異空間が広がっていたというシークエンスまである。言うまでも無く登場人物たちの孤立感を表現した描写で、強いインパクトをもたらす。

 新藤兼人の脚本を得た川島雄三の演出は天才的で、次々と繰り出されるブラックな笑いと、非凡な映像感覚の連続が観る者を圧倒する。伊藤雄之助と山岡久乃による前田夫妻は胡散臭さが全開で頼もしく、幸枝役の若尾文子は毒々しい美しさを見せつける。高松英郎に小沢昭一、船越英二、ミヤコ蝶々といった面々も実に“濃い”。カメラが初めて団地の外に出るラストも印象深く、これは必見の映画と言える。

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