(原題:MISS AMERICANA)2020年1月よりNetflixで配信されたドキュメンタリー映画。人気歌手テイラー・スウィフトの実像に迫った・・・・という体裁の作品だが、困ったことに何も描かれていない。彼女のファンで、なおかつ未公開のプライベートな映像が見られるだけで満足するというコアな層にのみアピールするシャシンであろう。
保守的な気質の土地で育ち、子供の頃から“いい人だと皆から思われなければならない”という人生観を刷り込まれ、実際にグッド・ガールを演じてきたというテイラーは、なるほど本当に“いい人”なのかもしれないという印象を受ける。若くしてあれだけの成功を収めたにも関わらず、驕ったところが見当たらないのも、それだけ人間が出来ているということだ。
もちろん、その裏には葛藤があったに違いなく、2009年に起こったいわゆる“カニエ・ウェスト事件”には相当彼女も憤慨したようだが、それらが映画ではテイラーの“裏の顔を描く”といった露悪的な展開に繋がらないのも、自身のキャラクターゆえなのだろう。だが、それで作品の被写体として面白いかどうかというと、全然そんなことはない。
いくら彼女でも芸能界で生きていく上では少なからず屈託を抱えているとは思うのだが、映画はそこまで踏み込まない。あくまで“いい人”としてのテイラーを前面に出すのみだ。ならば本業であるステージでのパフォーマンスや曲作りといった分野は掘り下げられているのかと思ったら、これがまるで不発。コンサートの場面は断片的だし、スタジオでアイデアを練っているシーンも工夫が無く、ただ漫然とカメラを回しているだけだ。
とにかく、彼女のミュージシャンとしての実相を追いかけようともしない。政治的なスタンスを打ち出すに至った過程も、通り一遍に紹介されるのみだ。何しろ“カニエ・ウェスト事件”の背景とその後の成り行きさえ取材しないのだから閉口する。あのアクシデントを粘り強く追うだけかなりの成果を上げたと思われるが、それすら実行していない。
ラナ・ウィルソンの演出にはキレもコクも無く、上映時間が85分と短いにも関わらず、随分と長く感じられた。唯一興味深かったのが、テイラーがかなり背が高いこと。デビュー当時からアイドル的な雰囲気を持っていたので気付かなかったのだが、実は180センチ近くあり、他のミュージシャンと並んだショットには少し驚いた。
なお、私自身はあまり彼女の音楽性には興味を持っていないが、2014年に発表されたアルバム「1989」だけは素晴らしいと思う。どのナンバーもよく練られており、何度聴いても感心する。ベストセラーになったのも当然だ。
保守的な気質の土地で育ち、子供の頃から“いい人だと皆から思われなければならない”という人生観を刷り込まれ、実際にグッド・ガールを演じてきたというテイラーは、なるほど本当に“いい人”なのかもしれないという印象を受ける。若くしてあれだけの成功を収めたにも関わらず、驕ったところが見当たらないのも、それだけ人間が出来ているということだ。
もちろん、その裏には葛藤があったに違いなく、2009年に起こったいわゆる“カニエ・ウェスト事件”には相当彼女も憤慨したようだが、それらが映画ではテイラーの“裏の顔を描く”といった露悪的な展開に繋がらないのも、自身のキャラクターゆえなのだろう。だが、それで作品の被写体として面白いかどうかというと、全然そんなことはない。
いくら彼女でも芸能界で生きていく上では少なからず屈託を抱えているとは思うのだが、映画はそこまで踏み込まない。あくまで“いい人”としてのテイラーを前面に出すのみだ。ならば本業であるステージでのパフォーマンスや曲作りといった分野は掘り下げられているのかと思ったら、これがまるで不発。コンサートの場面は断片的だし、スタジオでアイデアを練っているシーンも工夫が無く、ただ漫然とカメラを回しているだけだ。
とにかく、彼女のミュージシャンとしての実相を追いかけようともしない。政治的なスタンスを打ち出すに至った過程も、通り一遍に紹介されるのみだ。何しろ“カニエ・ウェスト事件”の背景とその後の成り行きさえ取材しないのだから閉口する。あのアクシデントを粘り強く追うだけかなりの成果を上げたと思われるが、それすら実行していない。
ラナ・ウィルソンの演出にはキレもコクも無く、上映時間が85分と短いにも関わらず、随分と長く感じられた。唯一興味深かったのが、テイラーがかなり背が高いこと。デビュー当時からアイドル的な雰囲気を持っていたので気付かなかったのだが、実は180センチ近くあり、他のミュージシャンと並んだショットには少し驚いた。
なお、私自身はあまり彼女の音楽性には興味を持っていないが、2014年に発表されたアルバム「1989」だけは素晴らしいと思う。どのナンバーもよく練られており、何度聴いても感心する。ベストセラーになったのも当然だ。