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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

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 とても興味深いドキュメンタリー映画で、最後まで引き込まれた。そして考えさせられた。当時TBSが撮影したまま長らく放置され、2019年に“発掘”されたフィルムの原盤を修復し、一本の作品にまとめ上げられたものだ。貴重な記録であるばかりではなく、確実に現在に通用する内容で、観る価値は十分ある。

 1969年5月、学生運動は激しくなり、その中でも東大全共闘は先鋭的な言動で知られていた。彼らは全共闘の主張とは正反対の位置にいると思われた売れっ子作家の三島由紀夫に討論を挑むため、彼を駒場キャンパスでの集会に“招待”する。三島は警察の警護の申し出を断り、単身会場に乗り込む。

 とにかく、三島の図抜けた存在感に圧倒される。彼はどこぞの安っぽい“右派論客”のように、大声をあげて相手を論破しようとは決してしない。学生たちの話をとことん聞いて、逐一冷静な反駁を試みる。全共闘のスタッフは次々と抽象的な論点を持ち出して三島を翻弄しようとするが、三島は全く動じない。相手の知的レベルをいち早く見抜き、事を荒立てない方向で巧みにまとめ上げる。途中から“子連れ”の幹部が割って入ったりもするが、軽くあしらわれて退場するしかない。

 実は会場には三島のボディガード役として“楯の会”のメンバーも何人か列席していたのだが、彼らの出番はついに訪れず、2時間あまりの討論会は無事に終わる。最初は三島を揶揄していた客席の学生たちも、閉会する時点では彼をリスペクトする雰囲気さえ生じる始末だ。

 劇中では実は両者のスタンスは懸け離れたものではなく、ひとえに日本を良くしたいと思う気持ちは共通していることが示される。ただアプローチが違っているだけだ。しかし、三島はこの会合の翌年に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で籠城事件を引き起こし、ついには自決するのである。自らの主張を貫徹するためか、あるいは文学者としての行き詰まりによるものか、とにかく三島は自身を“総括”してしまった。

 では、対する全共闘側はその後自分たちをどう“総括”したのか。三島は戦中および戦後をリアルタイムで生きた。彼の思いはその体験と当事者意識によるところが大きいだろう。だが、全共闘の構成員たちは戦後復興の胡散臭さは感じていたものの、その主張は地に足が付いていない。70年代に入ると世の中に対する真っ当なアピールも出来ず、内ゲバの連続で急速に支持を失ってゆく。要するに“その程度”のものでしかなかったのだ。

 だが、消え失せたかに思えた全共闘のテーゼは、本人たちが気が付かないまま薄甘く持続していたのではないか。しかも、彼らの世代は頭数だけはやたら多い。社会の中枢を担う年齢に達すると、いたずらに反社会的なポーズを取り始める。そして、バブル期には無謀な投資に走る。彼らが70歳代半ばに達した現在では、犯罪に手を染める者が多いとも聞く。三島と違って、自らを“総括”出来ないまま歳を重ねた彼らのことを思うと、何ともやるせない気分になる。

 映画では当時の“証人”が何人か登場するが、いずれも何やら及び腰な態度であるのが気になった。くだんの“子連れの乱入者”の現在の姿など、何とも場違いで苦笑してしまう。結局、冷静な意見を述べていたのが若い世代に属する平野啓一郎だけだったのが印象的だ。豊島圭介の演出は手堅く破綻は無い。ただし、ナレーション担当の東出昌大はどうなのか(笑)。三島の小説「豊饒の海」の舞台版にも出演した縁での起用らしいが、もう少し達者な者を採用して欲しかった。

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