軽佻浮薄なシャシンばかりが幅を利かせる昨今の邦画界にあって、あえて硬派でシビアな題材を扱おうとした、その姿勢は良い。しかし、出来はよろしくない。物語の設定が作者の頭の中だけで組み立てたようなもので、展開も独り善がり。現実を反映しているとは、とても思えない。結末近くになってくると、製作意図さえ怪しくなってくる始末だ。
群馬県の地方都市。デリヘルの運転手である貞夫は中学生の息子の洋一と一緒に暮らしているが、重度のギャンブル依存症で、妻にはとっくの昔に逃げられている。貧乏暮らしを強いられる洋一は、クラスメイトからの手酷いイジメに遭っている。イジメっ子の一人である稔は、父親の辰郎と義母、そして義母の連れ子である姉の優樹菜と生活しているが、父親は酒浸りで家族に暴力を振るっている。稼ぎの無い辰郎の代わりに、優樹菜は皆に内緒でデリヘル嬢として働いている。その運転手が貞夫だった。ある日、稔は家の中でデリヘルの名刺を拾う。姉はいったい何の仕事をしているのか、疑問を抱いた彼の胸中は穏やかではなくなる。
二組の家族が風俗業を通じて微妙にクロスしてゆくという段取りは、トリッキィではあるが現実感は皆無だ。そして、イジメの場面やそれぞれの親のダメさ加減、洋一と稔の造型など、もう絵に描いたようなステレオタイプである。
おそらく作り手は、家庭(主に親)に問題があるからイジメは発生すると思っているのだろう。だが、それは断じて違う。イジメというのは、学校のような集団生活の場ではいつでもどこでも起こり得るのである。つまりは“イジメがあるのが自然な状態”なのだ。そこを認識してから問題解決を図らなければならない。
その意味で、いかにも家庭に関して大きな屈託を抱えているような稔よりも、一緒になって洋一をイジメる、普通の家庭で育ったような他の連中の方を掘り下げるべきだった。映画は中盤を過ぎると“不幸のための不幸”を強調したような無理筋の展開が目に余るようになり、ラストの扱いに至っては呆れ果てた。この御為ごかしの筋書きで、作者は何を訴えたかったのか。これじゃ単なる自己満足ではないか。
隅田靖の演出は一本調子で、メリハリに欠ける。深刻な内容なのに、どうにもワザとらしい。企画担当が寺脇研と前川喜平なので、まあ仕方が無いかと思わせる中身である。鎌滝えりに杉田雷麟、椿三期といった若手には覇気が見られず、斉藤陽一郎に村上淳、有森也実などの大人のキャストも特筆すべきものがない。とにかく、ハードなネタをモノにしようと思うのなら、まずは現実を見据えることだ。机上の空理空論など、お呼びではない。