(英題:Last Present)2001年韓国作品。私は2002年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。本国では大きな話題を呼んだらしいが、なるほど誰でも楽しめるラブコメディ(兼悲恋もの)に仕上がっており、鑑賞後の満足度も決して低いものではない。ただし、設定自体に長所と短所が混在しており、諸手を挙げての高評価は差し控えたいと思う。
お笑い芸人のヨンギは、才能はあるがさっぱり売れない。来る日も来る日も、演芸番組の“前振り”で客席をある程度盛り上げるような“裏方”の仕事をこなすのみだ。妻のジョンヨンは甲斐性の無いダンナにウンザリしており、いつもケンカばかり。しかし、実はジョンヨンは重病に冒されており、余命幾ばくも無いことを隠していた。やがて偶然その秘密を知ったヨンギは、彼女のために一世一代のネタに挑む。
監督は当作品がデビュー作となるオ・ギファン。主人公の夫婦を演じるのはイ・ジョンジェとイ・ヨンエで、この二人の人気俳優の共演は、韓国の映画ファンに多いにアピールしたという話だ。ヨンギをコメディアンにしたことがこの作品の長所であろう。
頻繁に挿入されるギャグシーンは、絵に描いたような“お涙頂戴もの”のルーティンを巧みに緩和して、少々不自然な展開や、ヒロインの初恋の人を捜すシークエンス等のまどろっこしさも、文字通り“笑って済ませる”ことが出来る。加えて主演二人の存在感。イ・ジョンジェは以前の作品群とはうって変わった好漢ぶりで、コメディアンとしての舞台場面もまったく違和感がない。イ・ヨンエも従来のイメージを覆し、終始スッピンを通した形振り構わぬ大熱演だ。特に両親の墓の前で独白するシーンにはグッときた。
しかし、終わってみれば、主人公の成功の影に妻に関する悲話が付きまとうことが今後の彼の在り方の障害になることは確実である。どんなにコメディアンとしての才能に恵まれようが、世に出るきっかけが妻との悲恋とセットで語られてしまっては若手喜劇人として致命的(笑わせなきゃならないのに、泣きが先行してどうするんだって感じだ ^^;)。あまり感動できないのはそのためで、それがこの映画の短所でもある。
クォン・ヘヒョやイ・ムヒョンといった脇の面子は万全。イ・ソッキョンによる撮影、チョ・ソンウの音楽も悪くない。なお、本作は2005年に日本でテレビドラマ化されている。私は見ていないが、脚本が岡田惠和で堂本剛と菅野美穂が主演とのことなので、けっこう出来は良かったのではないかと想像する。
お笑い芸人のヨンギは、才能はあるがさっぱり売れない。来る日も来る日も、演芸番組の“前振り”で客席をある程度盛り上げるような“裏方”の仕事をこなすのみだ。妻のジョンヨンは甲斐性の無いダンナにウンザリしており、いつもケンカばかり。しかし、実はジョンヨンは重病に冒されており、余命幾ばくも無いことを隠していた。やがて偶然その秘密を知ったヨンギは、彼女のために一世一代のネタに挑む。
監督は当作品がデビュー作となるオ・ギファン。主人公の夫婦を演じるのはイ・ジョンジェとイ・ヨンエで、この二人の人気俳優の共演は、韓国の映画ファンに多いにアピールしたという話だ。ヨンギをコメディアンにしたことがこの作品の長所であろう。
頻繁に挿入されるギャグシーンは、絵に描いたような“お涙頂戴もの”のルーティンを巧みに緩和して、少々不自然な展開や、ヒロインの初恋の人を捜すシークエンス等のまどろっこしさも、文字通り“笑って済ませる”ことが出来る。加えて主演二人の存在感。イ・ジョンジェは以前の作品群とはうって変わった好漢ぶりで、コメディアンとしての舞台場面もまったく違和感がない。イ・ヨンエも従来のイメージを覆し、終始スッピンを通した形振り構わぬ大熱演だ。特に両親の墓の前で独白するシーンにはグッときた。
しかし、終わってみれば、主人公の成功の影に妻に関する悲話が付きまとうことが今後の彼の在り方の障害になることは確実である。どんなにコメディアンとしての才能に恵まれようが、世に出るきっかけが妻との悲恋とセットで語られてしまっては若手喜劇人として致命的(笑わせなきゃならないのに、泣きが先行してどうするんだって感じだ ^^;)。あまり感動できないのはそのためで、それがこの映画の短所でもある。
クォン・ヘヒョやイ・ムヒョンといった脇の面子は万全。イ・ソッキョンによる撮影、チョ・ソンウの音楽も悪くない。なお、本作は2005年に日本でテレビドラマ化されている。私は見ていないが、脚本が岡田惠和で堂本剛と菅野美穂が主演とのことなので、けっこう出来は良かったのではないかと想像する。