(原題:JUST MERCY)正攻法の社会派映画で、観た後の充実感が大きい。この作品がアカデミー賞候補にならなかったことが不思議だ。そして、ここで描かれたことがほんの30年ばかり前の出来事であることも驚く。アメリカという国は、まだまだ底知れぬ闇を秘めているのだろう。
80年代後半のアラバマ州。林業に従事していた黒人男性ジョニー・Dことウォルター・マクシミリアンは、突然逮捕される。白人の少女を殺害したという容疑だ。ところがウォルターは全く身に覚えが無い。彼は激しく否認するが、法廷は死刑判決を下す。そんな中、ハーバード法科大学院を出たばかりの新人弁護士ブライアン・スティーヴンソンは、大手事務所のオファーを断り、死刑囚の支援をしているNPOのあるアラバマ州に赴任する。
ブライアンは刑務所でウォルターと出会い、彼が有罪である証拠がほとんど無いことに驚愕する。ブライアンはNPOのスタッフであるエヴァと協力して法律事務所を設立。ウォルターを救うべく、本格的に活動を開始する。ブライアン自身の手によるノンフィクションの映画化だ。
アラバマ州といえば、ロバート・マリガン監督の「アラバマ物語」(1962年)の舞台になった場所だ。あの映画の時代設定は1930年代で、同じく主人公は弁護士。白人女性殺害の容疑で黒人男性が起訴されるという設定も似ている。ところが「アラバマ物語」の時代から半世紀以上経っても、事態はあまり変わっていないのだ。
ウォルターの有罪を示すものは、たった一人の証言のみ。それもかなり怪しい。何しろ物的証拠さえ存在しないのだ。ブライアンが黒人であるという理由で、弁護士であるにも関わらず刑務所で身体検査される屈辱。黒人への差別を隠そうともしない地元の警察と検察。さらには新たな証人も別件で逮捕されるという、理不尽な出来事のオンパレードだ。
ただし、本作の内容は不正を告発するだけに終わっていない。法曹関係者としてのブライアンの矜持をはじめ、ウォルターのプロフィールとその家族の描写、逆境に負けないエヴァのプライド、さらには他の死刑囚の心情に至るまで、各登場人物の掘り下げが実に深いのだ。特に、ウォルターの独房の両隣にいる囚人の扱いや、根拠薄弱な証言をした者の屈折した内面など、見事な洞察と言うしかない。
デスティン・ダニエル・クレットンという監督の仕事ぶりを今回初めて見たわけだが、隙の無い作劇で高い手腕を感じさせる。ラストシーンの扱いと、それに続く各キャラクターの“その後”を紹介する幕切れの処理は、大きな感銘をもたらす。主演のマイケル・B・ジョーダンとジェイミー・フォックスの演技は素晴らしい。ティム・ブレイク・ネルソンにロブ・モーガン、ブリー・ラーソンといった他のキャストも万全だ。ブレット・ポウラクのカメラが捉えた、南部の気怠い雰囲気。ジョエル・P・ウエストの音楽および既成曲の使用も万全だ。